先日、夏の滋賀大会の決勝戦が行われ、春の選抜準優勝の近江高校が見事春夏連続出場を決めましたね!
近江高校の歴史は古く、1938年(昭和13年)に開校しました。
野球部は、その19年後の昭和32年創部。
甲子園初出場は意外に新しく1981年(昭和56年)の夏でした。
今回は、今や全国区の知名度を誇る近江高校の甲子園初出場をふり返ります。
(参考文献・ホームラン、報知高校野球・週刊ベースボール・朝日など)
近江高校
近江高校は彦根市松原町にある私立校です。
戦前の1938年(昭和13年)に創立。
元々は近江実修工学校として工場の敷地内にあったのですが、その後女子校と合併するなど紆余曲折あって近江高校として現在の場所に移転しました。(昭和57年)
近江高校の概要
彦根駅
最寄り駅はJR彦根駅です。
彦根駅西口出て徒歩20分です。
学校法人・近江育英会
初代理事長は元オーミケンシ株式会社社長で学校創設者の夏川嘉久次氏で、現在はそのお孫さんにあたる夏川智亜氏が理事長を務めています。
野球部
近江高校の野球部は1957年(昭和32年)に創部。
その年に初めて夏の県予選に参戦しますが0-10で惨敗してしまいます。
これが今や全国に名の知れた近江高校野球部の歴史の始まりだったのです。
それから26年後の1981年(昭和56年)、近江高校は第63回全国高等学校野球選手権に初出場します。
1981年(昭和56年)甲子園初出場!
近江高校は1961年(昭和36年)の夏の滋賀大会で優勝したのですが、当時は現在のような一県一代表制ではなく、滋賀大会のあと甲子園出場をかけて京都大会の王者と決定戦を行うっていう罰ゲームのような試合があり、それに敗れた近江高校は甲子園出場を逃してしまいます。
それから20年後の1981年、近江高校は再び滋賀県大会を勝ち進みます。
夏の滋賀大会で優勝したわ!
当時の近江高校は専用グラウンドやナイター照明もなく、また練習もランニングやノックばかりで甲子園を目指すには練習環境が貧弱でした。
しかし、当時若干25歳の田中鉄也監督に鍛えられた近江ナインは滋賀大会を勝ち進みます!
決勝戦でそれまで無失点の古豪・比叡山を攻略して滋賀大会を制覇。
この頃には一県一代表制になっていたので、甲子園出場が決定しました。
2回戦 〇4-0八日市
3回戦 〇11-0大津商
準々決勝 〇3-0能登川
準決勝 〇12-6日野
決勝戦 〇4-1比叡山
当時どんなチームだった?
では、当時はどんなチームだったのか…。
少しふり返ってみましょう。
ユニフォームの漢字ロゴ
スカイブルーのユニフォームカラーは今と同じですが、胸のロゴが漢字で『近江高校』だったんですね~~。
なんかレトロ感あって良いですね~~。
現在はアルファベットで『OHMI』ですよね。
アルプススタンドの様子
アルプススタンド応援席の様子です。
今ほど近江ブルーで埋め尽くされてるって感じでもなさそうですね。
青と黄色のカラーでしょうか…。
鬼軍曹・田中監督
当時の監督は多賀監督ではなく、田中鉄也監督でした。
鬼軍曹と呼ばれ、練習設備などには当時めぐまれていなかったけれども、徹底した基礎練習でチームを底上げして見事甲子園出場を果たしました。
二年生バッテリー
近江高校のエースは加藤州宏(かとう くにひろ)さんでした。
当時、二年生でした。
同じ二年生の太田達彦さんと二年生バッテリーを組み、甲子園に乗り込んで来ました。
加藤さんは一年生の時から試合で登板しており、現在はOB会長。
たまにテレビで試合の解説などもされていました。
二年生が5人
当時の近江のスタメン中、5人が二年生という二年生主体のチームでした。
さらに左打者が4人、足とバントを絡めた機動力野球が特徴でした。
第63回全国高等学校野球選手権大会
対戦相手が決まったわ!
初出場の近江の対戦相手は大会5日目の第2試合、相手は山形県代表・鶴商学園(つるしょうがくえん)です。
鶴商学園は現在は鶴岡東高校と校名変更されていて、2022年の夏、山形県代表として甲子園に出場します。
グリーンの帽子と縦じまのユニフォームが特徴の山形県内でも人気のチームです。
(画像引用・鶴岡東高等学校公式HP)
鶴商学園(現・鶴岡東高校)の概要
鶴岡市
鶴岡市は山形県の庄内地方(日本海側)の南部、新潟県との県境にある山形県で人口No.2の12万人をほこる都市になります。
稲作地域で、庄内米はブランド品です。
学校法人・斎藤学園
鶴岡東高校は学校法人・斎藤学園が設置した私立校です。
元々はそろばんを中心とした経理の学校でしたが昭和42年に鶴岡商業高等学校として開校。
その10年後の昭和52年に鶴商学園に校名変更。
平成12年に現在の鶴岡東高校に変更されています。
野球部
野球部は1978年(昭和53年)夏に甲子園初出場を果たします。
この1981年(昭和56年)は3年ぶり2度目の夏の出場でした。
鶴岡東高校となった2011年(平成23年)に30年ぶりに夏の甲子園に出場。
2019年(令和元年)には初めて甲子園で2勝を挙げ、3回戦まで進出しています。
そして今年(2022年)、夏の山形大会を勝ち上がり甲子園へ!
大会2日目の第3試合で広島代表の盈進(えいしん)高校と対戦します。
ちなみに今年の大会で近江高校と鶴岡東高校がともに初戦を勝ち上がると、2回戦で約40年の時を超えて再戦することになります。
【追記】
両校初戦を勝ち上がったので、41年ぶりに対戦することになりました~~!!
2022夏・近江ー鶴岡東 エール動画
鶴岡東高校野球部OBのブログもあります。(下記より)
試合が始まったわ!
1981年(昭和56年)8月12日、大会5日目の第2試合・1回戦で近江(滋賀)と鶴商学園(山形)が対戦しました。
近江は初回に2点を先制されますが、3回裏にスクイズなどで2-2の同点にします。
6回裏に近江は森国選手のスリーベースで4-2と試合をひっくり返します。
ちなみに鶴商学園の監督も田中監督です(笑)。
近江も田中監督なので、田中監督同士の対決でもありました。
鶴商学園は8回表に押し出しで1点差まで詰め寄ります。
最終回の9回表、ツーアウトランナー無しから、開会式で選手宣誓を行った鶴商学園の主将・三浦選手が三塁打。
近江は一打同点のピンチを迎えますが、エースの加藤投手が後続をサードゴロに打ち取りゲームセット!
近江4-3鶴商学園
近江高校は甲子園初出場で見事初勝利をあげました~。
加藤投手は五回以外は毎回の10奪三振を奪う力投で鶴商学園を三点に抑えました。
2回戦で負けたわ!
初戦を突破した近江は続く2回戦で和歌山県の和歌山工業と対戦しました。
和歌山工は春はこれまで三度の甲子園出場がありましたが、夏はこの年(昭和56年)が初めての出場でした。
和歌山県といえば現在は智辯和歌山高校が無双していますが、昭和50年代は箕島(みのしま)高校の天下でした。
和歌山工業はその後1985年(昭和60年)の夏に甲子園に出場したのを最後に、以降は大舞台から遠ざかっています。
中田淳投手
和歌山工のエースは中田淳(なかた じゅん)投手。
小柄な体格でスピードこそないものの、サイドハンドから正確無比のコントロールでコーナーを投げ分ける投球で初戦は星稜(石川県)を完封シャットアウトしています。(4-0)
打撃陣は機動力を中心としたチームです。
先制されたわ!
和歌山工は一回表に押し出しで先制。
四回表にも犠牲フライで追加点!2-0と試合を有利に進めます。
和歌山工の中田投手は1回戦同様にスイスイピッチング。
近江は得点が奪えず、そのままゼロ行進が続きます。
スクイズ失敗が痛かったわ
近江は8回裏に代打・古川選手が三塁打!無死三塁のチャンスを迎えますが、加藤選手がスクイズを空振り、三塁ランナータッチアウトでチャンスをつぶします。
これで反撃の芽が潰えました。
試合はそのまま2-0で和歌山工が3回戦進出。
和歌山工のエース、中田投手は近江打線を5安打完封。
2試合連続完封になりました。
和歌山工の中田投手はその後、3回戦も完封勝利で3試合連続完封を記録。
準々決勝で京都商に敗退しました。
大会は兵庫県の報徳学園(ほうとくがくえん)が決勝戦で京都商を2-0で下して初優勝を果たしています。
まとめ
いまや滋賀県内で無敵をほこる近江高校の甲子園初出場時をふり返りました。
当時、近江高校と初戦で対戦した鶴商学園(現・鶴岡東)、今年夏も出場しています。
ともに初戦突破すれば2回戦で41年ぶりの再戦が実現します。
ぜひ期待しましょう!
この記事をお読みいただいて、当時を懐かしく思い出していただけたら幸いです。
ではまた。