近江高校の監督といえば名将・多賀章仁(たが あきと)監督ですよね~。
いまやすっかり甲子園でお馴染みです。
多賀監督が近江高校の監督に就任したのは1989年(平成元年)でした。
その3年後には近江高校は二度目の、多賀監督が就任してから初めての甲子園出場を果たします。
今回は現在は名将の地位を固めつつある多賀監督の甲子園初出場の1992年(平成4年)の近江高校をふり返ります。
(参考文献・ホームラン、報知高校野球・週刊ベースボール・朝日など)
近江・多賀章仁監督
1981年(昭和56年)に初めて甲子園に出場し初勝利をあげた近江高校。
しかしそれ以降は甲子園から遠ざかり、甲子園の常連となったワケではありませんでした。
初出場を果たしてから8年後に多賀章仁氏が就任します。
そこから徐々に滋賀県内での地位を確立していきます。
多賀章仁(たが あきと)
彦根市出身・平安高校(京都)→龍谷大を経て昭和58年に近江高校の社会科の教諭に。
以降は近江高校野球部でコーチを務めて、1989年(平成元年)より近江高校の監督に就任。
2019年(令和元年)には還暦を迎えられ、今年の夏(2022年)も3季連続甲子園出場を決めました。
監督就任して30年以上経過し、甲子園出場も春夏通算20回を超えました。
もう甲子園でおなじみの多賀監督が近江高校の監督に就任して初めて甲子園に登場したのが、いまから30年前の1992年(平成4年)でした。
多賀監督行きつけのお店
ちなみにこちらが多賀監督行きつけのお店になります。
近江高校から近いですよ~~。
この投稿をInstagramで見る
1992年(平成4年)甲子園出場!
多賀監督が就任して4年目の1992年(平成4年)、近江高校は夏の滋賀県大会を勝ち上がります!
滋賀大会で優勝したわ!
この年の夏、滋賀県大会の勢力図は5年連続夏の甲子園出場をねらう八幡商と、春の県大会で優勝して、近畿大会で準優勝の比叡山が有力でした。
1回戦 〇4-2東大津
2回戦 〇2-0北大津
3回戦 〇5-0河瀬
準々決勝 〇1-0八幡工
準決勝 〇2-0八幡商
決勝戦 〇4-1比叡山
準決勝・打倒八商!
3年前の決勝戦で近江は、当時県内無敵だった八幡商相手に序盤から4点リードを奪いながら終盤に逆転され、あと一歩で甲子園を逃しています。
以来、近江の目標は打倒・八商(八幡商)でした。
この大会の準決勝で、多賀監督はついに打倒・八商を果たします。
近江はエース・長谷川投手の力投で2-0で勝利。
八商の五連覇を阻止して決勝に進出します。
校歌斉唱時には多賀監督、感極まって涙しました。
決勝は鈴居投手で優勝したわ!
決勝戦の相手は春の県王者にして、春の近畿大会準優勝で前評判の非常に高かった比叡山でした。
近江は二枚看板のもう一人、鈴居(すずい)投手が比叡山を1失点に抑え、終盤に突き放した近江が4-1で勝利して、見事11年ぶりに夏の甲子園に出場決定!
もちろん、多賀監督は初の甲子園になります。
第74回全国高等学校野球選手権
こうして近江は11年ぶりに第74回全国高等学校野球選手権に出場します。
この年はバルセロナ五輪が開催された影響で、開幕日が通常の8月8日→8月10日に遅らせての開幕でした。
対戦相手が決まったわ!
第74回全国高等学校野球選手権に出場する近江の対戦相手は、大会5日目第一試合(1回戦)・群馬代表の樹徳(じゅとく)高校です。
樹徳高校
樹徳高校は群馬代表として二年連続の出場でした。
この大会に出場して以降、甲子園から遠ざかっていましたが、2022年(令和4年)の夏、ちょうど30年ぶりに甲子園に帰ってきました。
戸部浩投手
当時の樹徳高校のエースは後にプロ入りする、戸部浩(とべ ひろし)投手でした。
戸部投手は二年生だった前年も甲子園で登板していますが、初戦で大敗を喫していました。
(樹徳3-11大阪桐蔭)
その後は日体大→東芝へ、1999年(平成11年)千葉ロッテマリーンズにドラフト3位で指名され、プロでは通算2勝で引退されてます。
試合が始まったわ!
近江の先発はエースナンバーの長谷川選手、バッテリーを組むのは近江の主将・宝藤(たからふじ)選手です。
近江は何といっても県大会通じてわずか2失点。
長谷川、鈴居の二枚看板が売りの投手力の守りのチームでした。
近江は他に坂本選手や一居選手など機動力が売り物です。
対する樹徳もエース・戸部投手を軸にバントと機動力を絡めた野球で、似たような両チームだったので、投手戦になると思っていました。
いきなり先制されたわ!
1回裏、近江はエラーと内野安打でピンチを広げると、樹徳のスクイズと暴投で2点先制されます。
反撃が始まったわ
2点ビハインドの近江は5回表、なんと3連続内野安打という何ともけちくさい攻撃で樹徳・戸部投手から一点を返します。
ランニングホームラン打たれたわ
5回表に1点返した近江ですが、その裏2失点、6回裏にも3失点で1-7と大勢が決しました。
8回裏には樹徳・川島選手にランニングホームランまで打たれてTHE END!
近江、負けてもたわ…
樹徳 8-1 近江
中盤での失点が響いて結局完敗でした…。
近江守備陣はミスが多く、打線も樹徳・戸部投手の丹念なピッチングの前に6安打、8三振を喫してしまい、最後まで試合の主導権を握れませんでした。
まとめ
近江、多賀監督の甲子園デビューの1992年(平成4年)夏の甲子園をふり返りました。
この年の大会の主役は星稜高校の松井秀喜選手で、2回戦の明徳義塾戦での5打席連続敬遠が社会現象になった大会です。
その後、大会は西日本短大付(福岡)が決勝戦で拓大紅陵(千葉)を下して初の全国制覇を成し遂げました。
近江・多賀監督の甲子園初勝利はその数年後にやってきます。
それはまた別の機会に話しましょう!
ではまた。