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【八幡商】1988(昭和63)年夏 甲子園出場【本荘・宇部商】

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近年、甲子園大会での近江高校の躍進が目立ちます。

しかし、かつて滋賀県勢は『甲子園で1勝するのがステータス』という時代がありました。

そんな時代に…

①初戦は初出場校など、わりと戦いやすい相手にしっかり勝って

→②2戦目に強豪校にキッチリ負ける。

滋賀県民→『上位進出は出来なかったけど、甲子園で1勝してくれたし大満足♡』

そうなんです!
甲子園に出ると必ず1勝は挙げてくれる安定感。

そんな元本保証制度みたいなことを4年連続でやってのけ、抜群の安定感で県内の高校野球ファンに大人気だった学校がありました。

それが今回紹介する近江八幡市にある八幡商業(はちまんしょうぎょう)です。
通称・八商(はっしょう)でおなじみです。

今回は、今なお根強い人気の古豪・八幡商夏の甲子園初出場時をふり返ります。

(参考文献・ホームラン、報知高校野球・週刊ベースボール・朝日など)

滋賀県立八幡商業高等学校の歴史と概要

まずは八幡商について学んでいただきます。

八幡商の歴史は古く、明治19年に滋賀県商業学校として創立。
大津市で誕生しましたが、明治34年に現在の場所に移転されています。

八幡商の概要

近江商人の士官学校

ヴォーリズ建築で有名なメレル・ヴォーリズ氏もこの学校の英語教師として赴任しています。

【近江八幡市】近江兄弟社とメレル・ヴォーリズとは?あなたは神を信じますか? ・・・いきなり何の勧誘かとお思いでしょうが、近江八幡市にはかつて神が存在していました。そしてその精神は1...

この伝統の商業学校は、近江商人の士官学校と言われてきました。

天八魂

天八魂(てんぱちだましい)は『天下の八商魂』の略で、昔から使われています。
もちろん、野球部でも横断幕で掲げられています。

実業家

近江商人の学校だけあって、著名な実業家も輩出しています。

伊藤忠商事の社長(伊藤竹之助・伊藤忠兵衛)やワコールの創業者(塚本幸一)などは有名ですよね。
また第75代内閣総理大臣宇野宗佑(うの そうすけ)も同校OBです。

八幡商・野球部の歴史

野球部は明治31年に創部。
甲子園大会が始まるのが大正時代ですから、それよりずっとずっと前からあったんですね~。

春は三度出場

昭和26年、32年、37年の春に甲子園大会に出場しています。
そのうち昭和32年と37年にはベスト8入りしています。

夏はこの年(昭和63年)まで出場はありませんでした。

八幡商が古豪と呼ばれる所以がここにあるのです。

昭和62年・林勝監督就任

八幡商が夏の甲子園に初出場する前年の1987(昭和62)年、林勝(はやし まさる)氏が同校に赴任してきます。
部長を経て、同年7月に監督に就任しました。
就任当時46歳でした。

八商黄金時代の始まりです。

林 勝(はやし まさる)

伊香(いか)高校から日本大学を卒業後、保健体育教師として能登川(のとがわ)高校に赴任。
昭和50年春に能登川高校を甲子園に導いています。
その後、長浜高校でも昭和59年夏に甲子園出場。

その後は長きにわたり八幡商で指揮を執っていました。
黄色いメガホンで指示を出す姿はおなじみでしたね~。
八幡商の監督を退いたあとは、母校の伊香高校でも監督を務められました。

1988(昭和63)年夏・八幡商初出場!

ここからは1988(昭和63)年の夏の滋賀大会をふり返ります。

昭和63年当時の滋賀県の勢力図

この頃になると、しばらく続いていた甲西高校伊香高校の2強時代は終焉を迎え、この年春のセンバツ大会に出場した野州(やす)高校、春の近畿大会準優勝の比叡山、そして徐々に力を付けていた八幡商が有力でした。

滋賀県大会で優勝したわ!

初戦(2回戦)で前年夏の覇者・伊香高校を破ると、そのまま勝ち進みます。
準決勝・大津商戦では1-1の緊迫した展開から7回表に一挙5点で快勝。

決勝戦では、春季大会で10ー0でコールド勝ちしている草津東を相手に大苦戦。

終盤に二度突き放されるも追い付き、最後は逆転サヨナラで甲子園出場を決めました。

1988年 八幡商(滋賀大会・夏)

2回戦〇7-1伊香

3回戦〇8-3膳所

準々決勝〇5-1高島

準決勝〇7-3大津商

決勝戦〇6-5草津東

比叡山が負けたわ!

この年の最有力だった比叡山が準々決勝で彦根東に敗れてしまい、流れが一気に八幡商に来ましたね。

草津東

サッカーで有名な草津東高校は、この時学校創立12年目。
野球部は創部6年目で、この年まで夏の大会未勝利でした。

しかし初戦で大乱戦の末に初勝利を挙げると(10ー9近江兄弟社)、3回戦の甲西戦で9回裏に大逆転サヨナラ勝ち!(4-3甲西)

これで完全に勢いに乗り、甲子園まであと一歩のところまで来ましたが、最後の最後で力尽きました。

決勝戦でもエースの高野投手が延長11回を一人で投げ抜きました。

第70回全国高等学校野球選手権記念大会

こうして八幡商第70回全国高等学校野球選手権大会に出場します。

八幡商大会5日目第2試合(昭和63年8月12日)、相手は秋田代表・本荘(ほんじょう)高校でした。

秋田代表・本荘(ほんじょう)高校

本荘高校は21年ぶり2度目の出場で、まだ甲子園での勝利はありませんでした。
秋田大会・準決勝で前年の代表・秋田経法大付(現ノースアジア大明桜)に打ち勝つと(8-6秋田経法大付)、決勝戦でも強力打線の能代商を退け(5-3能代商)、21年ぶりの出場を決めました。

尾留川(びるかわ)徹監督 28歳

尾留川 徹(びるかわ とおる)監督は本荘高校出身で現役時代はショートでした。
この年の他に2006年と2008年にも同校を甲子園に導いています。

その後は西目(にしめ)高校矢島(やしま)高校でも指揮を執り、最後は仁賀保(にかほ)高校を最後に2022年で監督業を勇退されています。

エース・竹内 昌也(2年)

本荘のエースは2年生の竹内昌也(たけうち よしや)投手です。
2年生ながら身長181センチ、83キロの大型投手で、秋田大会をほとんど一人で投げ抜きました。

長身から繰り出す、重い直球が魅力の本格派投手でした。

竹内 昌也(たけうち よしや)

本荘高校2年時に甲子園出場。
翌年は秋田大会・準決勝で敗退し、その後は社会人のNTT東北で活躍すると1992(平成4)年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから2位指名。

プロ3年目(1995年)には10勝を挙げ、一時期はローテーションの一角を担うも2000年に日本ハムファイターズに移籍、翌年で現役を退いている。

八幡商の主力メンバー

では当時の八幡商のメンバーを見ていきましょう。

3人の投手陣

エースの山本一典投手を筆頭に津田儀行投手、そして2年生の堀口滋投手と3人の継投で滋賀大会を勝ち抜いてきました。

主将で4番の西田実(3年)

4番・ショートでキャプテンの西田実(にしだ みのる)選手です。
県大会では打率.200と不調でしたが、大事な場面で役割を果たします。
甲子園でも打ってます!

1・2番コンビ

不破(ふわ)信幸二塁手とスタメン唯一の左打者・辻昭外野手の1・2番コンビ、ともに3年生です。
甲子園1回戦では1番・辻、2番・不破でしたが、2回戦では入れ替わってます。

3番・サード 西田篤司(2年)

2年生ですが打撃センスはチームNo.1西田篤司(にしだ あつし)選手です。
県大会は打率.478と絶好調でした。
2年時はサードを守りましたが、翌年は外野手で出場しましたね。
甲子園で本塁打も打ってます。

5番・センター 田中孝明 (2年)

3番の西田篤司選手と同じく2年生のクリーンアップです。
パワフルな打撃が売りで、やはり甲子園で本塁打を放っています。

岡藤 一幸捕手(3年)

投手陣をリードする岡藤(おかふじ)捕手です。
甲子園では相手の盗塁を刺し、また打撃面でもチームに貢献しました。

1回戦・八幡商vs本荘

速攻の八幡商!

八幡商は初回に4番・西田実選手、2回に9番・山本投手が自らタイムリーを放ち、序盤に2点のリードを奪い優位に進めます。

中盤は投手戦

中盤は八幡商・山本投手、本荘・竹内投手が踏ん張り、ランナーを出しながらも得点を許しません。


本荘は5回と6回にチャンスを迎えますが、ダブルプレーや盗塁死などまずい攻撃で無得点が続きます。

八幡商山本投手はアンダースローからのスローカーブが有効的で、相手に決定打を与えません。

終盤に追加点!

試合は8回表に動きます。
八幡商は8番・岡藤選手のタイムリーヒットで2点追加(4-0)。

9回表には3番・西田篤司選手、5番・田中選手の2年生がそれぞれタイムリーヒットで6-0。

八幡商の投手陣はリレーすることなく、山本投手が完封!

八幡商6-0本荘

八幡商が夏初出場で初勝利を挙げました。

山口代表・宇部商業

八幡商の次の相手は山口代表・宇部商業(うべしょうぎょう)です。
3年前の夏は準優勝、この年の春はベスト8に進出し、この夏は全国制覇を狙っていました。

名将・玉国光男監督

宇部商玉国(たまくに)光男監督は夏12回、春5回、同校を甲子園に導き通算24勝を挙げている甲子園でもおなじみの名監督です。

ミラクル宇部商

宇部商といえばドラマチックで劇的な試合が多く、特にホームランにまつわるエピソードに事欠きません。

・逆転サヨナラホームラン

・1年生の代打逆転スリーラン

・完全試合目前からの最終回逆転ツーラン

・あとサヨナラボークなんてのもありましたね。

左腕王国

宇部商が甲子園で躍進する年は、なぜか決まってエースが左投げピッチャーなのです。
この年も例外ではなく、エースは左の木村真樹(きむら まさき)投手でした。

2回戦 八幡商vs宇部商

試合は大会8日目(8月16日)第2試合でした。

先手必勝の八幡商

八幡商は初戦同様、序盤に先制します。

2回表、一死三塁から高野選手がスクイズを空振り、しかし三塁ランナーがそのままホームに突っ込み、八幡商が先制(記録は本盗)。

3回には宇部商・木村投手の暴投で二塁ランナーが三塁を蹴ってそのままホームイン(八幡商2-1宇部商)。

中盤まで八幡商優位

宇部商じわじわと追い上げるも、八幡商は5回表に2年生の5番・田中孝明選手がレフトラッキーゾーンへソロホームランを放ち再び2点差に突き放します(八幡商4-2宇部商)。

逃げ切り失敗…

2点リードで終盤戦を迎え、継投で逃げ切りを図りたい八幡商でしたが2番手に登板した津田投手が7回裏、ヒットと内野のエラーで同点に追いつかれてしまいます(4-4)。

さらに8回裏、3番手の2年生投手・堀口投手が宇部商の5番・寺岡選手、6番・城市(じょういち)選手に連続ホームランを浴びてしまい終盤に痛い痛い逆転負け…。

宇部商6-4八幡商

八幡商は優勝候補の宇部商に大健闘も及ばず、残念ながら2回戦で敗退となってしまいました。

大会はその後、広島商が最多タイ記録(当時)に並ぶ、夏の選手権・通算6度目の優勝を飾っています。

現在の夏の選手権大会・最多優勝校は中京大中京です(7回)。

 まとめ 1988(昭和63)年夏・八幡商

昭和最後の大会、昭和63年の夏に甲子園に出場した八幡商をお伝えしました。

翌年、元号が平成へと変わり、ここから滋賀県下で八幡商の黄金時代が到来することになります。

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最後までお読みいただきありがとうございました。
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