近年、県内でも強豪の地位を確立しつつある滋賀学園(しががくえん)。
秋や春に強いイメージがありますが、初めて甲子園に登場したのは2009(平成21)年の夏になります。
今回は2009年の夏に甲子園出場を果たした滋賀学園にスポットをあてました。
(参考文献・ホームラン、報知高校野球・週刊ベースボール・朝日など)
滋賀学園高等学校の歴史と概要
ではまずは滋賀学園について学んでいただきます(笑)。
滋賀学園は昭和8年、和裁の専門学校として創立され以降は八日市高等女子専門学校に、その後1984(昭和59)年に八日市女子高等学校となり、1999(平成11)年に男女共学化。
滋賀学園に校名変更、その4年後からは中高一貫校になります。
しかし、少子化の影響で2022(令和4)年から、中学生の募集をいったん停止しています。
滋賀学園の概要
滋賀学園は滋賀県東近江市にある私立校です。
間近に太郎坊さんがそびえ、遠くに湖東三山を望みます。
その自然豊かな土地に学校はあります。
教育
普通科のみで特に英語教育に力を入れ、ニュージーランドでの海外研修も行われています。さらに2024(令和6)年からは5年一貫の看護科も開設予定です。
部活動
野球部以外でも、陸上部、ソフトボール部、卓球部なども全国レベルです。
滋賀学園野球部の創部
野球部は男女共学になって滋賀学園となった1999(平成11)年に創部。
初年度は初戦で姿を消していましたが、2000(平成12)年より山口達也氏が監督に就任。
そこから一気に野球部の知名度が上がっていきます。
山口達也監督
滋賀学園の野球部を語る時、絶対に欠かせない人物がおられます。
まだ歴史のない滋賀学園野球部を一から作り上げた山口達也(やまぐち たつや)氏です。
高校時代は大津商の内野手として活躍し、青森大に進学。
その後は大手宝飾会社の営業マンとして鳴らしていましたが、1999(平成11)年に滋賀学園のコーチに就任すると翌年から同校の監督に就任しました(就任当時29歳)。
営業マン経験を活かす
滋賀学園の野球部に携わる前に営業マンとしてのキャリアを形成していた山口さんは、その経験を活かし、いろいろな中学校やクラブチームの中学生のスカウトに奔走!
創部から数年で県内でも戦えるチームを作り上げました。
大阪学園…からの地域密着
滋賀学園の野球部員は基本県外の選手が多く(大阪や沖縄など)、「滋賀学園というより、大阪学園やんけ~~!」などと陰口を叩かれる事もあったそうです。
しかし地域のイベントや清掃活動、田植えなどを手伝い、地域との交流を図るうちにそういった声は次第に消えていくことになります。
2009年夏・滋賀学園甲子園初出場
ここからは滋賀学園の甲子園出場までをふり返ります。
ルーツになった2003年夏の県予選
山口監督就任4年目の2003(平成15)年の夏の滋賀県大会、それまで3回戦が最高だった滋賀学園は突如滋賀大会を勝ち進みます。
滋賀学園は準決勝まで進出し、2年前に夏の甲子園準優勝、この年もチーム力が非常に高かった近江に1点差で惜敗します(滋賀学園2-3近江)。
そしてこれが6年後に甲子園に初出場することになる滋賀学園のルーツとなるのです。
2006年夏の県予選で準優勝
2003年夏の滋賀学園の快進撃を目の当たりにした当時の中学生は、こぞって滋賀学園に入学します。
実は野球部寮が県内で最初に出来たのは滋賀学園だったんですね~。
野球に打ち込める環境もバッチリです。
そうして入学した子たちが最高学年になった2006(平成18)年の夏の滋賀大会、再び滋賀学園は勝ち進みます。
初戦で春のセンバツ大会に出場した優勝候補の北大津に乱打戦の末、勝利します。(滋賀学園11ー9北大津)
そのまま決勝戦まで進出し、甲子園まであと1勝と迫りますが、古豪・八幡商(はちまんしょう)の前に屈し甲子園を逃してしまいました。(滋賀学園3-6八幡商)
そして、その試合を目の当たりにした当時の中学生が滋賀学園に入学すると、最高学年になる3年後の2009年夏についに悲願の甲子園初出場を果たすのです。
滋賀県大会で優勝したわ!
滋賀学園は2回戦で春の大会準優勝のシード校・綾羽(あやは)高校を下し、順調に勝ち進みます。
エースの棚上(たなうえ)拓也投手、2年生の宮城慎之介投手の二枚看板が安定し、危なげなく準決勝へ!
準決勝・北大津
初回の2点を守れず、7回裏にひっくり返される苦しい展開…。
しかし、最終回にスリーベースと犠牲フライで逆転すると、その裏の北大津の攻撃を二番手の宮城投手抑え勝利、決勝戦に進出します。
決勝戦・近江
近江は前年まで2年連続で夏の甲子園に出場し、続く秋季大会、そしてこの年の春季大会も制し、優勝候補の筆頭でした。
滋賀学園はこの試合6安打でしたが、近江守備陣が6失策で自滅。
4回までで7-0で滋賀学園が大量リード。
一方の近江は滋賀学園の倍の12安打を放つも1点しか取れませんでした。
そのまま押し切り、エース・棚上投手が1失点完投勝利で7-1。
滋賀学園がうれしい春夏通じて初の甲子園出場を果たしました。
1回戦〇7-1瀬田工
2回戦〇4-1綾羽
3回戦〇4-1彦根翔陽
準々決勝〇4-0守山
準決勝〇4-3北大津
決勝戦〇7-1近江
第91回全国高等学校野球選手権大会
こうして滋賀学園は第91回全国高等学校野球選手権大会に出場します。
滋賀学園は大会5日目(8月14日)・第1試合に登場。
対戦相手は、超名門校の智辯和歌山(ちべんわかやま)高校です。
智辯学園和歌山高校
和歌山代表・智辯和歌山高校はこの夏までに全国制覇、夏2回・春1回。
強打を売りにしたチームを作ることに長けていたのですが、この年はそれまでのイメージをガラリと変えて守りのチームに変貌していました。
この夏、5年連続17回目の出場となり、昨夏のメンバーが9人も残っています。
この日のスタメンには2年生が5人いました。
高嶋仁監督
智辯和歌山の高島仁(たかしま ひとし)監督は、この夏までに監督として歴代2位の甲子園通算56勝を挙げており、この大会で3勝すれば単独で歴代トップに立ちます。
当時63歳でした。
監督の歴代甲子園通算勝利数(2009年夏時点)
①中村順司(PL学園)58勝
②高嶋仁(智辯和歌山)56勝
③渡辺元智(横浜)47勝
西川遥輝(にしかわ はるき)2年
智辯和歌山・3番打者、1年生から甲子園を経験、この年の春からショートから外野に転向。
4番を打つ、同じ2年生の山本定寛選手とともにこの大会直前まで怪我に苦しんでいたが、復調してきました。
西川 遥輝(にしかわ はるき)
翌2010年度のドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズから2巡目で指名を受ける。
プロ入り3年目までは怪我に苦しんでいたが、4年目の2014年シーズンに43盗塁で最多盗塁のタイトルを獲得、通算4度のリーグ最多盗塁を記録している。
俊足の他に長打力もあり、二塁打・三塁打の多い選手である。
2022年シーズンより、活躍の場を東北楽天ゴールデンイーグルスに移している。
岡田 俊哉(おかだ としや) 3年
エースは1年生から甲子園のマウンドを経験している、岡田俊哉投手(3年)です。
1年生時は身長168センチでしたが、2年後には181センチの長身ピッチャーになっていました。
左から140キロ台のストレートと高速スライダーが武器のプロ注目の左腕投手で、和歌山大会では4試合・32回1/3で42奪三振、被安打11、四死球4、失点はゼロでした。
またバッティングも良く、この試合では5番を打っています。
岡田 俊哉(おかだ としや)
この年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1巡目で指名を受け入団。
プロ入り後3年間は一軍出場はなく、4年目の2013年シーズンに初勝利を挙げると、この年7勝。
その後はおもに中継ぎとして起用されるも、故障で戦線離脱。
一時期、抑えとして復活するも、現在はフォーム変更や故障など苦しい状態が続いている。
滋賀学園の主力メンバー
その智辯和歌山と対戦する滋賀学園の主力メンバーを見ていきましょう。
山口監督は監督就任10年目で念願の甲子園初采配。(当時38歳)
スタメン9人のうち、左打者が実に5人。
エース・棚上 拓也 3年
身長は智辯和歌山の岡田投手と同じく181センチの長身サウスポーでした。
この試合を安定した投球を披露しました。
キレのあるストレートに加え、右打者には外角へ沈むスクリューボール、左打者にはスライダーが有効的でした。
3番レフト 中原 伸晃 3年
県大会準決勝の北大津戦では先制ツーランホームランを打っています。
県大会通算.304、1本塁打、8打点でチームの打点王です。
4番サード 稲垣 竜次 3年
176センチ76キロのガッシリした体格で、1年生の新チームから4番を務めました。
県予選では.250と当たりはなかったのですが、決勝戦の近江戦では先制のタイムリーを放ちましたね。
5番ファースト 川辺 裕次郎 3年
県大会ではチームNo.1の打率.350を記録(20打数7安打)。
打点はなかったのですが、おもにチャンスメーカーとしての役割を果たしています。
9番キャッチャー 滝田 拓哉 3年
チームの主将、そしてキャッチャーとしてチームを引っ張っていました。
代打 芝田 桜次郎 2年
県大会準決勝・北大津戦の最終回に代打で登場!
値千金の同点スリーベースを打ちました。
甲子園大会でも代打で出場しています。
2009年夏 1回戦 滋賀学園ー智辯和歌山
1回裏 滋賀学園先制のチャンス!
初回、智辯和歌山を0点に抑えた滋賀学園はその裏、トップの疋田拓也選手がいきなり右中間に2ベース。
2番・森裕紀選手がバントで送って一死三塁と先制のチャンスを迎えます。
滋賀県の新参校が全国の強豪相手にいきなり先制のチャンス…。
・・・
・・・・・・ちょい待ち!
なんか似たような話、聞いたことあるような…。
事例①
事例②
…まぁええわ。
さぁ、ここで絶対先制点取れよ~~!!
と、期待しましたが後続が倒れ無得点で終わりました。
3回表 智辯和歌山が先制
3回表、智辯和歌山は一死後、1番の大畑選手がヒット→盗塁で一死二塁とチャンスを広げると、2番・二年生の岩佐戸(いわさど)選手の大きなレフトオーバー2ベースで1点先制。
投手戦が続く
その後は両エースが安定したピッチングを展開し、中盤まで緊迫した投手戦になりました。
滋賀学園打線は、しり上がりに調子をあげる智辯和歌山の岡田投手から、初回以降ヒットが打てません。
山口監督は相手の岡田投手の高めに浮いたストレートを狙うように指示を出しますが、やはり決め球のスライダーに手を出して、泳がされるバッティングが続きます。
滋賀学園の棚上投手も智辯打線を抑え、互角に渡り合います。
6回表 智辯和歌山が追加点
6回表に試合が動きます。
智辯和歌山は3番・西川選手がセンターオーバーの2ベース。
4番・山本選手がセンター犠牲フライで一死三塁。
そして5番・ピッチャーの岡田選手がレフトに犠牲フライを打ち上げて2-0。
コンパクトに追加点をあげました。
6回裏、久々チャンスも…
その裏、滋賀学園は一死から2番・森選手が四球で出塁。
その後に初球スチールを決め、一死二塁と初回以来のチャンスを迎えます。
しかし、後続の3,4番が倒れて得点なりません。
最終回・滋賀学園の反撃
1回表の先頭打者以来、ヒットが出ていない滋賀学園は最終回、怒涛の代打攻勢を仕掛けます。
代打・清水 大樹選手(3年)
これまでチームの盛り上げ役、まとめ役を担ってきた清水選手。
しかし、三振に倒れてワンアウト。
代打・芝田 桜次郎選手(2年)
滋賀学園、代打の切り札の2年生・芝田選手。
しかしパワーを発揮できずに三振を喫してツーアウト。
4番が意地のヒット
4番の稲垣選手には代打を送らず、そのまま打席を迎えると、初回の先頭打者の疋田選手以来、チーム2本目のヒットが飛び出します!
相手センターのエラーも重なって、二死二塁と最後のチャンスを迎えます。
代打・芥川 勇太選手 (3年)
チームNo.1の飛ばし屋の芥川選手。
1点でも取って欲しかったが…。
しかし三振に倒れ、セームセット。
完璧だった岡田俊哉投手
結局、智辯和歌山の岡田投手は中盤以降、相手を寄せ付けずスイスイのピッチング。
終わってみれば、9回で被安打2、13奪三振、3四死球でした。
一方の滋賀学園の棚上投手も強豪相手に堂々のピッチングで、守備陣もノーエラーでした。
まとめ 2009年夏・滋賀学園甲子園初出場
2009年の夏に甲子園初出場を果たした滋賀学園をふり返ってみました。
滋賀学園に勝った智辯和歌山の高嶋監督はこれで通算57勝目。
次の試合も勝ち、最多勝利記録のタイ記録に並びましたが、3回戦で敗退。
単独トップの記録更新は翌年以降に持ち越されました。
初陣を飾れなかった滋賀学園は7年後の春、ユニークなチームになって甲子園に帰ってきます。
それはまたの機会にお伝えしましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。