滋賀・高校野球

【北大津】2004年(平成16年)夏・甲子園初出場!【ダルビッシュ】

2023年(令和5年)、センバツ出場を狙う彦根総合高校

指揮を執る宮崎裕也(みやざき ひろや)監督はかつて北大津高校の監督として春夏通算6回の甲子園出場の実績があります。

2020年に彦根総合高校の監督に就任して、現在に至ります。

今回はその名将・宮崎裕也監督初めて甲子園に出場した2004年(平成16年)北大津高校をふり返ります。

北大津高校野球部の歴史

滋賀県立北大津高校は琵琶湖の南西部に位置する1984年(昭和59年)創立の公立校です。
びわ湖を見下ろす高台に校舎はあります。

アーチェリー部とアメフト部は全国有数の強豪です。

北大津高校の概要

おごと温泉駅

最寄駅はJR湖西線のおごと温泉駅になります。

人気温泉街・おごと温泉の近くに位置します。

【大津市】レトロ旅館・おごと温泉 里湯昔話・雄山荘レビューおごと温泉は滋賀県の人気温泉街で、県外から訪れる客も多いです。 びわこ緑水亭や湯元館などは人気旅館もあるのですが、今回紹介するのは...

国際文化科

普通科のほかに国際文化科があり、オーストラリアやニュージーランドへの語学留学もさかんです。

公式ページ

野球部

野球部も学校創立と同じ1984年(昭和59年)に創部
その年の夏に県大会に出場するも大敗でした。(0-18近江)

翌年もコールド負けで、創部から10年くらいは県大会で一勝できれば良いほう…といった具合の弱小チームでした。

宮崎裕也監督

そんな北大津に1991年(平成3年)宮崎裕也氏(当時30歳)が赴任してきます。
宮崎さんは当時の野球部のグラウンド状態を見て愕然としたそうです…。

雑草が生い茂り、練習どころではなかったそうです。
そんな状況から宮崎さんは当初野球部の監督就任を固辞していたそうです。

しかしその3年後に野球部の監督に就任すると、チームは着実に力を付けていきます。

宮崎裕也(みやざき ひろや)

比叡山高校時代は3年時に甲子園出場(ベスト8)。
高校卒業後は中京大に進学。

1991年(平成3年)より北大津高校に赴任、その後野球部の監督に就任。
春夏通算6度の甲子園出場を果たす。

安曇川(あどがわ)高校を経て2020年に現在の彦根総合高校に転任。

近江に勝てない・・・

宮崎監督が就任してレベルが格段にアップした北大津は、1995年(平成7年)の夏の県大会で初めてベスト4に進出します。

その後も上位進出は果たすものの、ことごとく近江の壁に跳ね返されてしまいます。

1998(平成10)年・決勝●0-5近江

2000(平成12)年・準々決勝●3-4近江

2001(平成13)年・準決勝●3-8近江

2003(平成15)年・決勝●1-4近江

(夏の滋賀県大会)

2001年の県大会準決勝で北大津に勝った近江は、そのまま甲子園で準優勝に輝きましたね。

【近江】2001年(平成13年)夏・甲子園準優勝【前編】1992年(平成4年)以降、1年おきに夏の甲子園に出場していた近江高校。(1992、1994、1996、1998年) 2000年代...
【近江】2001年(平成13年)夏・甲子園準優勝【後編】前回に引き続いて滋賀県勢初の準優勝に輝いた近江高校の軌跡、お伝えします。 https://miamichannel2020.com...

 

2004年(平成16年)夏・甲子園初出場!

2003(平成15)年の決勝戦でも近江の前に屈した北大津ですが、翌年2004(平成16)年、宮崎監督就任11年目でついに滋賀県の頂点に立ちます。

滋賀県大会で優勝したわ!

2004年の春季大会北大津公式戦で初めて近江に勝利します。(北大津5-2近江)
決勝では敗れてしまい、春季大会は準優勝でした。(北大津1-4八日市南)

そして甲子園を賭けた夏の大会が始まります。

いつも肝心なところで苦杯をなめさせられた近江は準決勝で敗退

決勝戦の相手は、春季大会と同じく通称・八南(ようなん)こと、八日市南(ようかいちみなみ)高校でした。

2004年 北大津(滋賀大会・夏)

2回戦〇7-0高島

3回戦〇3-0彦根翔陽

準々決勝〇3-1八幡商

準決勝〇18ー3光泉

決勝戦〇3-2八日市南

北大津は準々決勝で春のセンバツに出場した八幡商の2年生の好投手、上田大貴投手を先発全員安打で攻略すると、準決勝では2年前にスーパー1年生を擁して甲子園に出場した光泉に大勝!(また先発全員安打&24安打)

【光泉】2002年(平成14年)光泉、甲子園初出場!【帝京】光泉(こうせん)カトリック高校は滋賀県草津市にある私立校です。 1988年(昭和63年)開校、野球部も同じ年に創部されました。 ...

春季大会決勝の再戦となった決勝戦では延長11回にキャプテン・中西健太選手のサヨナラヒットで決着を付けて、甲子園初出場を決めました。

タレント軍団・北大津

甲子園初出場の北大津はベンチ入りが全員3年生。
宮崎監督打ち勝つチームを目指し、打撃を重点的に鍛えてきました。

不安視された守備陣も県大会を通じてわずか4失策。
主力級2人を含めた4人の投手陣も安定していました。

そしてこの年の北大津個性的な選手が多くタレント軍団としてその名を轟かせていました。
少し紹介していきましょう。

主将・中西健太

3番キャッチャーで主将です。

高校通算42本塁打。

県大会決勝でのサヨナラヒットなど、問答無用でチームの要でした。
この年のプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから指名されました(4巡目)。

4番ピッチャー・上田修司

先の中西選手同様に、北大津の看板選手です。
県大会では背番号『7』でしたが、甲子園大会ではエースナンバーを付けています。

県大会では2試合20イニング投げて失点3、奪三振16。
速いスライダーが武器、野手出身なのでフィールディングも上手かったです。

切り込み隊長・田中一輝


1番ショートの左打者。
北大津のキープレイヤーで、彼の出塁がポイント。

甲子園では2安打しています。

バント職人・中原朋紘


県大会で7個のバントを決めている2番打者。

1番・田中選手との1,2番コンビがカギを握ります。

ホームランアーティスト・石本一樹


5番・ファーストのスラッガーです。
県大会では打率.400(20打数8安打)、2本塁打と大当たりでした。

元エースナンバー・古川和也


6番・レフトを守ります。
県大会ではエースナンバーでした。
左のサイドスローで3試合に登板し、15イニングで失点1、奪三振5でした。

名前がカッコいい・柳光 仁義


8番・セカンドの柳光 仁義(りゅうこう じんぎ)選手です。
とにかく名前がカッコいい!!

野球選手でいまだかつてこんなカッコいい名前の選手がいただろうか!?
甲子園ではセーフティー気味の犠打を決めています。

第86回全国高等学校野球選手権大会

宮崎監督率いるタレント軍団の北大津は意気揚々と第86回全国高等学校野球選手権大会に乗り込みます!!

対戦相手が決まったわ!

タレント軍団・北大津は2004年8月9日、大会3日目・第4試合に登場しました。

対戦相手は宮城代表・東北高校です。

東北高校

東北(とうほく)高校は仙台育英(せんだいいくえい)とともに宮城県の常連校です。
前年(2003年)夏の甲子園で準優勝した東北はこの夏に悲願の初優勝を狙っていました。

ダルビッシュ(東北)


2年生の春から4季連続で甲子園に登場する東北のエース・ダルビッシュ有投手は最上級生で最後の夏、もちろん全国制覇をもくろんでいました。

ダルビッシュを倒せ!


打撃に自信があった北大津・宮崎監督ですが、よりによって相手が高校ナンバーワンピッチャーと当たるとは…。

しかし、ただ手をこまねいている北大津だと思ったら大きな間違いです。
宮崎監督は対策を練ります。

ダルビッシュ対策その①

速い球を投げるOBを集めて打撃練習!

ダルビッシュ対策その②

マシンの設定を150キロに設定してひたすら打撃練習!!

・・・これでバッチリだ!

1回戦 北大津対東北

試合が始まったわ!

試合はみなさんの予想に反して、立ち上がりからダルビッシュ投手を攻めます。

1回表・怒涛の北大津!

北大津は先頭の田中選手が内野安打で出塁。
2番の中原選手バント失敗、3番・中西選手がライトライナーでツーアウトになりますが、4番ピッチャー・上田選手がセンター前に弾き返して二死1,3塁。

5番・きらめきのスラッガー・石本選手がとらえた打球は大きな放物線を描いてレフトスタンドへ…。

先制スリーランホームランと思ったら、途中で打球が失速…。
あえなくレフトにキャッチされて無得点でチェンジ。

ひるまない北大津

たとえ相手が大会ナンバーワンのダルビッシュ投手が相手だとしても、北大津決して引かない!下がらない!ひるまない!!

2回以降も毎回のように得点圏にランナーを進めますが、どうしてもあと一本が出ませんでした…。

試合が終わったわ・・・


試合が終わりました。

北大津は守備陣が7失策で自滅

先発したエース・上田修司投手、2番手に登板した古川和也投手ともにエラーからリズムを崩し、3回裏と7回裏に大量失点を喫しました。

0-13で大敗。初陣を飾れませんでした。

徹底したダルビッシュ対策も、結局1点も奪うことができませんでした…。
なぜ1点も取れなかったのか、検証してみます。

誤算①

150キロ、マシンでは打てても、実際ダルビッシュ投手は上背があるのでボールに角度がある。

誤算②

ダルビッシュ投手は腕も長くて球持ちが良いので、実際のスピードより速く見える。

誤算③

ダルビッシュ投手は基本ボールが速いので、ストレートだと思ったら変化球だった。

誤算④

そもそも東北高校、ならびにダルビッシュ投手目標はあくまで全国制覇!
前半は省エネ投球、試合中盤からギアチェンジして北大津は全く打てなくなった…。

まとめ

2004年(平成16年)夏に甲子園初出場した宮崎裕也監督率いる北大津高校をふり返りました。
初出場だった北大津東北に大敗を喫しましたが、数年後同じ東北に見事リベンジを果たす事になります。
それはまた別の機会に紹介します。

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。

ブログランキング参加中!ポチッと応援お願い♪