1992年(平成4年)以降、1年おきに夏の甲子園に出場していた近江高校。(1992、1994、1996、1998年)
2000年代になると奇数年の2001年(平成13年)から、1年おきに出場することになります。
(2001、2003、2005、2007年)
そんな21世紀最初の2001年(平成13年)の夏、近江高校は突如快進撃をみせて、滋賀県勢初の準優勝を成し遂げます!
今回は21世紀最初の夏の甲子園で近江ブルー旋風を巻き起こした2001年(平成13年)の近江高校の躍進を前編・後編の二回に分けてお送りします。
(参考文献・ホームラン、報知高校野球・週刊ベースボール・朝日など)
2001年(平成13年)夏・近江高校
2001年の近江高校は新チームになっての秋季大会は準優勝(優勝は比叡山)、近畿大会には出場したものの初戦敗退(3-7神戸国際大付)で春のセンバツ大会には出場できず…。
年が明けた春季大会でも準優勝(優勝は八幡商)と、有力校ではあったものの決して突出した存在ではありませんでした。
その近江高校がまさか夏にあんな快進撃をみせるとは…。
夏の滋賀大会で優勝したわ!
この年の滋賀県大会の本命は前年夏に甲子園出場し、春の近畿大会ベスト4の八幡商でした。
その八幡商が初戦で敗退し(3-8長浜北)、一気に戦国ムードになります。
2回戦〇3-0玉川
3回戦〇7-0草津東
準々決勝〇7-0能登川
準決勝〇8-3北大津
決勝戦〇9-1光泉
多少、対戦相手に恵まれた感もありましたが、無難に決勝進出を果たすとその決勝では二年生双子バッテリーを擁して勝ち上がってきた新鋭・光泉高校を退けて3年ぶり6度目の夏の甲子園に出場しました。
ちなみにこの時敗れた光泉高校は、翌年の2002年(平成14年)に見事甲子園初出場を果たす事になります。
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2001年・近江高校 選手名鑑
当時のメンバーはどんな感じだったのか振り返っていきましょう!
2001年夏 近江 野手編
1番サード・木村憲一
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近江の切り込み隊長でした。
県大会では.267(15打数4安打)1打点。
甲子園大会に入って序盤は不調でしたね。
2番センター・笹嶋昭宏
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県大会では打率5割(16打数8安打)4打点。
甲子園大会ではバントなどよく決めていた印象です。
3番ショート・岡義雅
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県大会は.389(18打数7安打)2打点。
セカンド・戸田選手と二遊間コンビを形成。
打撃では準決勝の松山商戦でのエンドランが印象的でした。
4番ファースト・松村慎也
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近江打線の不動の4番バッターです。
県大会は.571(14打数8安打)5打点。
ホームランこそありませんでしたが、勝負強いバッティングが光りました。
5番レフト・大西輝弥
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5番は一年生の大西選手。背番号は19でした。
この年は準優勝に貢献、その2年後にはキャプテンとして甲子園に帰ってきます。
6番ライト・橋本洋一
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県大会では.278(18打数5安打)、1本塁打、5打点。
甲子園大会に入ってからも勝負強いバッティングが光り、4試合連続タイムリーヒットを放ってます。
7番キャッチャー・小森博之
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チームのキャプテンです。
甲子園大会・準々決勝では勝ち越しタイムリー、準決勝では3安打の猛打賞でした。
8番ピッチャー・竹内和也
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この年の近江は主力投手3人による継投リレーが必勝パターンでした。
その一番手はエースナンバーの竹内投手でした。
だいたい5回投げたところで二番手ピッチャーにスイッチしています。
打撃面では県大会、.286(7打数2安打)、3打点でした。
9番セカンド・戸田勝己
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県大会は.100(10打数1安打)、1打点。
ショートの岡選手との二遊間コンビは鉄壁でした。
甲子園大会・準々決勝では反撃のタイムリーヒットや、三塁打も放ってます。
2001年 近江投手陣 3本の矢
この年の近江を語る上で欠かせないのが強力投手陣三人による三枚投手リレー、通称『近江・三本の矢』です。
今でこそ高校野球界も投手分業制ですが、当時はまだまだ先発完投型・エース依存型のチームが多く、それに先駆けて多賀監督は投手陣の完全分業制を確立されていました。
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先発・竹内和也投手
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投手リレーの順番は決まっていて先発はいつも竹内投手でした。
県大会では5試合22イニングを投げ、失点4、奪三振23、四死球9。
甲子園大会に入っても毎試合先発を任され全試5試合で先発登板しています。
球速は130キロそこそこでしたが、その大会での活躍が評価され、この年のプロ野球のドラフト会議で西武ライオンズにドラフト5位で指名されました。
2番手・島脇信也
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いつも4~5回から二番手として登場するのが左の島脇信也投手です。
背番号7。
粗削りながら縦に大きく割れるスライダーが武器でした。
気持ちのこもった投球が印象的で、この年の近江ナインの中で最も輝いていましたね。
三人の中では最も打撃が良く、島脇選手が打線に加わると一気に厚みが増しました。
甲子園大会、準決勝では反撃のホームランも打っています。
先の竹内和也選手と同じくこの年のプロ野球のドラフトに指名されました。
オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)からドラフト4位で指名されてます。
三番手・清水信之介
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クローザー(抑え)は清水信之介投手です。
この年の近江投手陣は竹内選手や島脇選手がクローズアップされていましたが、最後に試合を締めるのはこの清水選手でしたね。
基本は最終回に登場するのが必勝パターンでしたが、7~8回から登場することもありました。
ちなみに清水選手が登場すると、二番手の島脇選手はレフトのポジションに就いていました。
『近江・三本の矢』誕生のきっかけ
もともと近江は投手分業制が確立されていたわけではありませんでした。
この年のチームは守りを中心に完投能力がある投手が3人いました。
3人のうち調子のいいピッチャーを先発させて、打たれたら交代…みたいな感じでしたが、そんな近江がターニングポイントを迎える試合がありました。
近畿大会・神戸国際大付戦
前年(2000年)秋の近畿大会1回戦、神戸国際大付(兵庫)との試合です。
勝てば春のセンバツ大会出場に大きく前進する大事な試合でした。
先発は島脇投手で、終盤まで3-1とリードしていたのですが、最終回に相手に一挙6点を奪われて3-7の大逆転負け。
春のセンバツ大会出場を逃してしまいます。
春季大会決勝・八幡商戦
翌2001年の春季大会は決勝戦まで進出しますが、当時のライバル校・八幡商に決勝戦で7-8で敗れてしまいます。
この試合は序盤に5失点、終盤に追い上げるも届かず悔しい1点差の敗退でした。
先発は竹内投手、以降は清水投手→島脇投手のリレーでした。
この試合が大きなきっかけとなって、以降近江は3投手を1試合にすべてつぎ込む投手陣・完全分業制が誕生し、夏の滋賀県大会に臨むことになりました。
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まとめ 2001年 近江選手名鑑
2001年(平成13年)、近江高校の甲子園準優勝時の記事、前編をお伝えしました。
次回は甲子園大会での活躍お伝えします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。