近年の近江高校の人気は凄まじいですね。
2022(令和4)年は春準優勝、夏ベスト4の輝かしい戦績を収めています。
山田陽翔(はると)くん中心のこのチームは紛れもなく近江高校史上最強のチームといっても過言ではありません。
その4年前の2018(平成30)年も春夏連続出場、夏ベスト8で林投手(現・楽天)や北村選手(現・東京ヤクルト)などのプロ選手を生み出していて、このチームを最強チームと呼ぶ人も多いです。
しかし、それより遥か以前から長きにわたって近江高校史上最強チームと呼ばれた世代があったことをご存じでしょうか?
今回は高校野球史上初めて滋賀県勢が優勝候補に挙げられた2003(平成15)年の近江高校にスポットをあてました。
(参考文献・ホームラン、報知高校野球・週刊ベースボール・朝日など)
第75回 センバツ大会 近江
2年前の2001(平成13)年の夏、滋賀県勢初の準優勝に輝いた近江。
翌年の夏は県大会で敗退、その年の秋から新チーム体制になり翌年(2003年)の春を目指す戦いが始まりました。
センバツへの道のり
秋季滋賀大会優勝
前評判の良かった新チームは順当に勝ち上がり、準決勝で夏の県大会で敗れた八日市相手に同じスコア(9-2)でリベンジを果たすと、決勝でも水口東に快勝(5-1)。
まずは滋賀県を制し近畿大会に進出します。
近畿大会
1回戦 〇9-0大産大付属(大阪)
準々決勝●5-7平安(京都)
近江は初戦の大産大付戦で前田選手、大西選手のホームラン、投げては岡本・小原投手のリレーで9-0のコールド勝ち。
次の準々決勝の平安戦でも今度は岡選手と那須選手がホームラン。
5-7で惜敗しますが、対戦相手の平安が近畿大会で優勝したこともあって、近江は翌年春の第75回選抜高校野球大会に出場することになりました。
近江、春のセンバツ初勝利&ベスト8
近江は1998(平成10)年以来、5年ぶり2回目のセンバツ出場。
5年前は初戦で敗退しましたが、この年は2勝を挙げ10年ぶりに県勢春ベスト8に進出します。(八幡商以来)
2回戦 〇4-3宜野座(沖縄)
3回戦 〇4-0愛工大名電(愛知)
準々決勝●2-4広陵(広島)
2回戦 近江4-3宜野座(ぎのざ)
1回戦は不戦勝で2回戦からの登場。
3回に主砲・大西輝弥選手の2点タイムリーで一挙4点のビッグイニングを作ると、終盤は攻守でなんとか逃げ切りに成功。
近江は春のセンバツ、2度目の出場で初勝利を挙げました。
3回戦 近江4-0愛工大名電
練習試合で1-10で敗れた相手。
エースとして独り立ちした小原篤投手が自身公式戦初完封で県勢10年ぶりのベスト8へ。
準々決勝 近江2-4広陵
この大会で優勝することになる広陵戦。
終盤まで2-2のタイスコアだったが突き放されてしまいます。
最後は走塁ミスもあり敗戦。
県勢初の春ベスト4ならず…。
2003年 近江 夏へ向けて!
春季滋賀大会・近畿大会で優勝
センバツベスト8の近江は夏に向けて始動します。
まずは春の春季滋賀大会を圧倒的な強さで優勝すると、春の近畿大会でも優勝し、夏の選手権大会へ照準を合わせます。
当時の主力メンバー
それでは2003年当時の近江の主力選手を紹介していきます。
春も夏もほぼ不動の強力なメンバーでした。
エース・小原篤(3年)
近江の長身(182センチ)のエース・小原篤(こはら あつし)投手です。
新チーム結成の秋ごろまでは岡本大輔投手など複数の投手陣でしたが、春・夏の甲子園ではすべて一人で投げ抜きました。
カーブ、スライダー、フォークなどの変化球でカウントを整え、140キロ近いストレートで勝負する、緩急自在の投手でした。
3番センター・大西輝弥(主将)
1年生時から甲子園でプレー。準優勝メンバーでした。
しかし、準優勝時は甲子園で15打数2安打、負傷退場もあり不完全燃焼でした。
2年後のこの年はキャプテンとして甲子園に帰ってきて大きな存在感を見せましたね。
県大会では.389(18打数7安打)、1本塁打5打点をマークしました。
1番ショート・岡昇平(2年)
2年生のトップバッターです。
2年前、準優勝時の岡義雅選手の弟さんになります。
高校通算14本塁打、夏の県大会では19打数9安打(.474)5打点の大活躍でした。
4番キャッチャー・那須亮友樹(3年)
近江の4番打者・那須亮友樹(なす あきゆき)選手。
高校通算23本塁打、夏の県大会ではホームランこそなかったものの17打数10安打(.588)でした。
5番サード・前田大輔(2年)
岡選手と同じく2年生で、ポジションはサード。
県大会ではホームランを含め16打数6安打でした。
7番ファースト・東浦慎吾(3年)
身長188センチの大型選手で、ニックネームはジャンボでした。
守備は一塁手で、「どんな送球でも捕ってくれる!」と内野陣から好評でした。
センバツの広陵戦では猛打賞を記録しましたね。
夏・滋賀大会で優勝したわ!
2回戦 〇8-5彦根翔陽
3回戦 〇11ー0八幡商
準々決勝〇7-0伊吹
準決勝 〇3-2滋賀学園
決勝戦 〇4-1北大津
準決勝 3-2滋賀学園
創部4年目の滋賀学園、この辺りからどんどん強くなっていきます。
近江はなんとか逃げ切りました。
ちなみに滋賀学園はこの3年後に県大会で準優勝、その3年後の2009年にはついに念願の甲子園初出場を果たす事になります。
決勝戦 4-1北大津
決勝戦は終盤まで1-1の緊迫して展開から8回に3点を奪った近江が2年ぶりの夏の甲子園へ。
そしてこの北大津も翌年の夏、ついに甲子園出場を果たすのです。
第85回全国高等学校野球選手権大会
大会は雨の影響もありましたが、近江は大会5日目第2試合(8月11日)に登場。
1回戦の相手は三重県の宇治山田商(うじやまだしょうぎょう)でした。
三重代表・宇治山田商
宇治山田商は三重県伊勢市にあり学校は明治41年創立、野球部は大正10年創部の伝統校です。
甲子園には1978(昭和53)年の夏に初出場(0-2南陽工)。
以来、25年ぶりの出場になりました。
おもなOBとして2004年アテネ五輪の女子マラソン金メダリストの野口みずきさん、長年読売ジャイアンツで投手コーチを務められた中村稔さんなどがおられます。
中居誠監督
中居誠監督は当時34歳。
監督就任3年目のこの年、甲子園出場を果たしました。
エースで3番・江川智晃(2年)
宇治山田商の大黒柱は2年生エースの江川智晃(えがわ ともあき)選手です。
長身から投げ下ろす投球スタイルで140キロ台のストレートと3種類のスライダー(タテ・ヨコ・高速)が武器でしたが、2年生時は変化球の制球に難があり、粗削りな印象でした。
県大会では3試合に登板して23イニング6失点、17奪三振、9四死球。
また、打撃センスも良くチームの3番打者。
県大会では打率.583(22打数14安打)、2本塁打8打点でした。
県大会決勝では甲子園出場を決定付けるサヨナラ本塁打も放っています(5-4四日市工)。
江川 智晃(えがわ ともあき)
2年生時にチームを25年ぶりの甲子園に導く。
最上級生になった翌年(2004年)夏は県大会決勝で鈴鹿に敗退。
その年の秋にドラフト1巡目で福岡ソフトバンクホークスに指名され入団。
プロ入り後は内野手→外野手として出場した。
一軍と二軍を行き来したが2013(平成25)年には一軍で.260、12本塁打、35打点を記録した。
その後2019年に現役を退いた。
2年生主体のチーム
レギュラーメンバーで3年生は2人のみ、あとは2年生5人・1年生1人が占める若いチームであった。
特にエースの江川智晃選手を含め6番の佐々木潤選手と8番の堀本直希選手は中学時代の全国優勝メンバーで、揃ってこの宇治山田商にやって来ました。
1番ショート・森下巧麻(2年)
2年生の1番打者です。
県大会.350(20打数7安打)、1本塁打でした。
4番キャッチャー・辻淳志(2年)
宇治山田商の4番も2年生の辻淳志選手です。
県大会では.364(22打数8安打)、3番の江川選手とならぶチームトップの8打点。
さらにチームトップの5盗塁が光りました。
5番サード・岡山充(2年)
5番の岡山充選手も2年生で県大会は.455(22打数10安打)、1本塁打、6打点の大暴れ。
この脅威の2年生クリーンナップを近江の小原投手がどうやって抑えるのかがポイントです。
1回戦・近江ー宇治山田商
激しい打撃戦が予想されたこの試合。
率直に言うと、初回の攻防で試合の流れが決まったと言っても過言ではないでしょう…。
近江、初回に4点
近江は1回表、2死2塁から4番・那須選手の右中間ツーベースと5番・前田選手のライト前タイムリー、さらに満塁からショートのエラーで一挙に4点を先制します。
1回裏・痛恨の走塁ミス
4点を追う宇治山田商は1回裏、一死から2番の清水選手が初安打、その後3番の江川選手は右中間に大きな当たり…。
打った江川選手は2塁を蹴り3塁へ、しかし1塁走者が3塁でストップしており、江川選手は2,3塁間で挟まれタッチアウト。
その後、4番・辻選手は三振に倒れ無得点。
ランナーを貯めて4・5番に回しておけば…と悔やまれる場面でした。
宇治山田商、甲子園初得点
試合はその後落ち着きますが、5回表に近江は7番・東浦選手のレフト線タイムリーで5-0とリードを広げます。
近江・小原投手の前に沈黙していた宇治山田商は5回裏に2番・清水潤一選手のライト前タイムリーで1点を返します。
これが宇治山田商にとって嬉しい甲子園大会での初得点になりました。
6回以降は打撃戦へ!
6回表に近江が2番・吉田毅彦選手のタイムリーで追加点。
吉田選手はこの日、4打数3安打、1打点の大暴れでした。
対する宇治山田商も6,7回に1点ずつ反撃して3-6と詰め寄ります。
無念の降板・江川投手
5回あたりから右手中指を痛め、高めに浮き始めた宇治山田商のエース・江川投手は7回表にマウンドを同じく2年生左腕・広垣将太投手に譲り、自信はセンターの守備に就きました。
替わった広垣投手は三重大会準々決勝で10回完投1失点、決勝戦では5回ノーヒットの好リリーフを見せています。
8回表 大西トドメのスリーラン
近江は8回表に主将・大西選手がその広垣投手からレフトへスリーランホームランを打って9-3。
これで態勢決しました。
近江の先発・小原投手は相手に反撃を許すも、要所を締め142球で完投。
近江9-5宇治山田商
宮城代表・東北高校
春に続き初戦を突破した近江の2回戦の相手は宮城代表・東北高校です。
春夏連続、夏は10年ぶり18回目の出場でした。
若生正廣監督
東北高校の監督は若生正廣(わこう まさひろ)監督、当時52歳。
同校OBで投手として甲子園出場。
その後は埼玉栄高校野球部監督を経て1993(平成5)年より東北の監督を務める。
この大会で準優勝を飾り、翌年に退任。
2005年からは九国大付高校の監督に就任し2011(平成23)年に春準優勝。
2021年にお亡くなりになっています。(享年70歳)
エース・ダルビッシュ有(2年)
東北のエースはダルビッシュ有投手(2年生)。
この2年生時点で最速149キロの直球、カーブ・シュート・スライダー・ナックル・シンカーなどなど多彩な変化球を駆使していました。
しかしこの大会では腰痛に悩み、初戦では2イニングしか投げられませんでした。
リリーフには真壁賢守(まかべ けんじ)投手が控えます。
黒メガネがトレードマークでメガネッシュの愛称で人気でした。
6番サード・加藤政義(1年)
加藤政義(かとう まさよし)選手は1年生でサードのレギュラーの座を掴むと、この大会1回戦で4打数3安打、この次の3回戦(平安戦)でサヨナラ本塁打と大ブレイク。
以後2年間も連続で夏の甲子園に出場し、九国大に進学。
2009年にドラフト3巡目で北海道日本ハムに指名され入団している。
7番キャッチャー・佐藤弘祐(3年)
佐藤弘祐(さとう こうすけ)選手は恵まれた体格と高い守備力が魅力の正捕手。
打撃面でも、この夏は7番打者でが春までは4番打者でした。
この年の秋のドラフト会議で読売ジャイアンツから7巡目で指名されている。
強力・左打者陣
東北打線は先ほどの加藤選手に加え、左打者が充実していました。
1番の家弓(かゆみ)和真選手、3番の大沼尚平選手はともに初戦で2安打と3安打。
5番レフトの片岡陽太郎選手はチームのキャプテンです。
2回戦 近江ー東北
この大会はとにかく雨に泣かされ、順延で日程消化が遅れて試合が行われたのが8月18日でした。
そして、この日は近江・多賀章仁監督の44歳(当時)の誕生日でした。
この試合に勝つと近江の次の相手は多賀監督の母校の平安高校ということで是が非でもこの試合はものにしたいところです。
近江、またも速攻
近江は初戦に続いてまたも初回に先制!
1回裏、2死から3番・大西選手がライト前ヒット→盗塁で2死2塁。
4番・那須選手がレフト前へ、コーチャーはストップを指示したが大西選手はそのままホームに突っ込みダルビッシュから早くも1点!!
これは幸先がいい!!
投手戦に…
試合は近江・小原投手、東北・ダルビッシュ投手の投げ合いで中盤まで投手戦。
1-0近江リードのまま進みます。
特に小原投手は5回まで強打の東北打線を寄せ付けず、52球投げて無四球、被安打2の投球でした。
ストレートを見せ球にして変化球でカウントとアウトを取り、試合はスイスイと進みます。
近江のショート・岡 負傷退場
3回の守備で肩を痛めた、近江の2年生ショートの岡選手が5回表の守備時についにベンチに退いてしまいます。
近江にとってこのリードオフマンの不在は痛かったです…。
6回表・東北が逆転
好投の近江・小原投手は6回表に捕まります。
ヒット2本と四球で2死満塁。
東北の4番・横田選手に初球、ライト前に弾き返され1-2と逆転を許してしまいます。
横田選手は2年生、春のセンバツ時は8番打者でしたが、一日1000スイングの努力家で夏には4番にまで上り詰め初戦では4打数3安打、3打点。
そしてこの試合でも殊勲打を放ちました。
近江、反撃するも
追う展開になった近江は6回と8回にともにスコアリングポジションにランナーを進めるも後続が倒れ、ダルビッシュ投手を崩せず。
9回表に東北追加点
東北は9回表に9番・古川選手のポテンヒットで3-1と近江を突き放します。
ダルビッシュ投手は近江に決定打を与えず、そのまま3-1で東北が近江を破りました。
2001年準優勝した時よりも打撃と走塁のレベルが格段に上がり、前評判の高かった近江は悔しい2回戦での敗退となりました。
ちなみに東北・ダルビッシュ投手は3年生になった翌年夏も滋賀県勢も前に立ちふさがることになります。
近江を破った東北はその後は決勝まで勝ち上がり、東北勢悲願の初優勝が期待されましたが、決勝で常総学院(茨城)に敗れて優勝を逃してしまいます。
まとめ 2003年 近江ー宇治山田商・東北
今回は、史上初めて滋賀県の高校が優勝候補に名を連ねた2003(平成15)年の近江高校を紹介しました。
いまだにこのチームを最強チームと呼ぶ人も少なくありません。
しかしこの年以降はたびたび出場するものの、甲子園で2勝以上する姿はしばらく見られなくなり、少し停滞期に入ります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。