前回、甲賀市信楽町の表の顔『陶芸の町』としての信楽を紹介しました。今回は同じ信楽観光でもディープなスポットを紹介します。
信楽にはかつて都がありました。紫香楽宮(しがらきのみや)として、この信楽の地が日本国の都だった時代があったのです。
そして信楽を走る信楽高原鉄道(しがらきこうげんてつどう)はかつて正面衝突事故があり負のイメージがあったのですが、近年はスカーレット効果などもあり、すっかり払拭されています。
今回は信楽の裏の顔、かつて都だった信楽&信楽高原鉄道にスポットをあててみました。
信楽高原鉄道

信楽高原鉄道は貴生川(きぶかわ)駅から信楽駅を結ぶ全長約15kmのローカル路線です。四季折々の車窓風景が楽しめ、さらに忍者ラッピング車両やスカーレットラッピング車両など人気の鉄道になっています。
そんな信楽高原鉄道もかつて大惨事に見舞われました。
信楽高原鉄道列車衝突事故

1991年(平成3年)5月、小野谷信号所ー紫香楽宮跡駅間で列車同士の正面衝突事故を起こしてしまうのです。元々、赤字路線だった国鉄・信楽線が第三セクター化して5年目のこの年、前年まで3年連続で黒字化して勢いに乗り出した頃にそれは起こりました。
第三セクター(だいさんせくたー)
国・地方公共団体が第一セクター、民間企業が第二セクター、国と民間の共同出資が第三セクター。
世界陶芸祭
そもそも信楽高原鉄道はオール単線で列車同士がすれ違うこともなく、正面衝突などありえないのですが、この時は信楽で『世界陶芸祭』が開催されており、JRが京都から臨時快速列車を走らせていました。
事故発生
発車時刻の遅延、待機しているはずの信号所に列車がいない、信号機の故障、JR側と信楽高原鉄道側の連携不足などいろいろな要因がかさなり重大な事故に発展してしまいました。
事故後
この事故により『世界陶芸祭』は中止になり、無きものにされてしまいました。事故現場付近には慰霊碑が建てられています。
玉桂寺と保良の宮橋

ここからは明るく行きましょう!信楽の秘境的スポットの玉桂寺(ぎょくけいじ)と保良の宮橋(ほらのみやばし)の紹介です。
無人駅の玉桂寺前駅から吊り橋を渡って、高野山真言宗のお寺である玉桂寺に向かいます。
玉桂寺前駅


玉桂寺前駅は無人駅です。ここから吊り橋が見えます。
保良の宮橋


吊り橋はかなり狭いです。運が良いと橋の上から信楽高原鉄道の車両が見えます。
玉桂寺


玉桂寺は天然記念物の高野槙(こうやまき)と不動明王が有名です。
不動明王

なかなかシュールです。
ぼけ防止

玉桂寺はボケ防止の御利益があるとされていますが、たしかにあの吊り橋と不動明王があればそうそうボケる事もなさそうです(笑)。
日雲神社


日雲神社は雲井駅の近くにあります。近くに車を止めるスペースもありました。
境内に線路が

日雲神社の面白いところは、参道に信楽高原鉄道の線路が横切っているところです。踏切も警告音もなく危険なのですが、見晴らしが良く、列車も10キロ以下で走行してくれるのでそうそう轢かれることはないと思うのですが、小さなお子さんや足や目の悪い高齢者とご一緒の場合は注意が必要となります。


そしてこの線路こそが現世と聖地を隔てる結界といわれ、人気のパワースポットたるゆえんなのです。
かつて都だった紫香楽宮(しがらきのみや)
ここからは、かつて都だった信楽・紫香楽宮(しがらきのみや)跡を紹介していきます。都…そうです!平城京や平安京など…あの都(みやこ)です。
つまり信楽の地が日本の中心だった時代があったのです。ちなみに奈良時代です。現在奈良にある大仏も信楽に建てる予定だったそうです。
これが実現していれば、きっと今頃信楽は『陶芸の町』ではなく『大仏の町』となっていたことでしょう!信楽焼のたぬきや戸田恵梨香も真っ青のはずです(笑)。
しかし、正式な都になってから4か月後に火災と地震によってぶち壊しになり、翌月の5月には平城京(奈良)に遷都されています。
遷都(せんと)
都を他の地域に移すこと。
なんという悲運!!
わずか半年足らずの天下!!
しかし、短く儚いからこそ夢があります。ここからは筆者とともに夢の続きを見ていこうではないか。
紫香楽宮・新京への道

当時、都は別の場所にあったのですが、天皇が信楽(紫香楽)の地を気に入り、この地に離宮を建設したびたび訪れていた。しかしあまりに離宮ばかりするので、この地を新京としたのです。しかし度重なる災害により都を平城京に移したのです。
離宮(りきゅう)
王族が皇居とは別に宮殿を設ける事。
ちなみに筆者もホテル滞在が好きで、最低月1くらいはホテルに離宮するので、たびたび親に「あんた、またホテル行くん??」などとツッコミが入ります(笑)。
紫香楽宮跡(しがらきぐうし)駅

紫香楽宮跡駅は新名神・信楽ICの出口から約500m、国道307号線沿いにある信楽高原鉄道の無人駅です。ここから徒歩で紫香楽宮跡・内裏野(だいりの)地区へ行けます。
人騒がせな紫香楽宮・内裏野地区


礎石などもあり、「あ~ここがかつて都だったのか~」などとしんみりしていると、われわれ取材班(って言っても筆者一人ですが。笑)は衝撃の事実を知ることになるのです。
なんとこの地は寺院跡で大仏建設予定地だったというだけで、本当の宮殿跡は別の場所にあるらしいのです。
何という人騒がせな!!
駅まで作っておいて(笑)。
…本当の場所はここから北へ約2㎞、宮町(みやまち)地区という場所です。と、いうわけでわれわれ取材班(筆者一人♪)もさっそく向かいました。
紫香楽宮・宮町地区
熱烈な歓迎

宮町地区の入口には『紫香楽宮案内図』の大きな看板が出迎えてくれます。いささか場違いな電光掲示板もあります(笑)。筆者が到着したころ、ちょうどツーリングの方がこの看板をバックに写真を撮られていたので、そこそこ知名度はあるのでしょうね。
ついにご対面!

ついにわれわれは、かつて都だったという地にたどり着きました。おそらくこの辺りだと思います。
では、ご登場いただきましょう!
これがかつて都だった紫香楽宮だ!!

すげ~~田んぼ!!(笑)
そうなんです、この地が本当の紫香楽宮跡という事は近年の発掘調査で分かったのです。平成に入ってから天皇皇后両陛下もこの地を訪問されており、この宮町会館には記念碑も建てられています。


宮町展示室

この近くに『宮町展示室』なる資料館があるという情報を入手したので、さっそく向かってみると…

土日休みみたいです(笑)。
…いや…あの…観光客取り込むのなら、土日のどちらかは開けといて欲しかったな~って。
きっと貴重な資料とかあったに違いない…。
紫香楽宮跡・玉桂寺・保良の宮橋の動画
まとめ

今回は信楽の秘境的スポットを紹介しました。時間があれば是非まわってみて下さいね。普段とは違う信楽の一面が発見できますよ。
正直、紫香楽宮にはスカされ続けた感がありました。うがーーー!!
動画にも収録しておいたので、あわせてご覧いただけるとうれしいです。信楽はもう一か所どうしても紹介したい場所があるのですが、それはまた改めて紹介しようと思います。
