滋賀・観光

【甲賀市】かつて都だった⁉紫香楽宮跡(しがらきのみやあと)

現在、スカーレット効果や信楽焼などで県内きっての観光名所になっている甲賀市信楽(しがらき)町

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その信楽にはかつて都がありました。紫香楽宮(しがらきのみや)として、この信楽の地が日本国の都だった時代があったのです。

かつて都だった紫香楽宮(しがらきのみや)

かつて都だった信楽・紫香楽宮(しがらきのみや)跡を紹介していきます。都…そうです!平城京や平安京など…あの都(みやこ)です。

つまり信楽の地が日本の中心だった時代があったのです。ちなみに奈良時代です。現在奈良にある大仏も信楽に建てる予定だったそうです。

これが実現していれば、きっと今頃信楽は『陶芸の町』ではなく『大仏の町』となっていたことでしょう!信楽焼のたぬき戸田恵梨香も真っ青のはずです(笑)。

しかし、正式な都になってから4か月後に火災と地震によってぶち壊しになり、翌月の5月には平城京(奈良)に遷都されています。

遷都(せんと)

都を他の地域に移すこと。

 なんという悲運!!

わずか半年足らずの天下!!

しかし、短く儚いからこそ夢があります。ここからは筆者とともに夢の続きを見ていこうではないか。

紫香楽宮・新京への道

当時、都は別の場所にあったのですが、天皇が信楽(紫香楽)の地を気に入り、この地に離宮を建設したびたび訪れていた。しかしあまりに離宮ばかりするので、この地を新京としたのです。しかし度重なる災害により都を平城京に移したのです。

離宮(りきゅう)

王族が皇居とは別に宮殿を設ける事。

ちなみに筆者もホテル滞在が好きで、最低月1くらいはホテルに離宮するので、たびたび親に「あんた、またホテル行くん??」などとツッコミが入ります(笑)。

紫香楽宮跡(しがらきぐうし)駅

紫香楽宮跡(しがらきぐうし)駅は新名神・信楽ICの出口から約500m、国道307号線沿いにある信楽高原鉄道の無人駅です。

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ここから徒歩で紫香楽宮跡・内裏野(だいりの)地区へ行けます。

紫香楽宮跡駅と信楽高原鉄道の動画

人騒がせな紫香楽宮・内裏野地区

礎石などもあり、「あ~ここがかつて都だったのか~」などとしんみりしていると、われわれ取材班(って言っても筆者一人ですが。笑)は衝撃の事実を知ることになるのです。

なんとこの地は寺院跡で大仏建設予定地だったというだけで、本当の宮殿跡は別の場所にあるらしいのです。

 

何という人騒がせな!!

 

駅まで作っておいて(笑)。

…本当の場所はここから北へ約2㎞、宮町(みやまち)地区という場所です。と、いうわけでわれわれ取材班(筆者一人♪)もさっそく向かいました。

紫香楽宮・宮町地区

熱烈な歓迎

宮町地区の入口には『紫香楽宮案内図』の大きな看板が出迎えてくれます。いささか場違いな電光掲示板もあります(笑)。筆者が到着したころ、ちょうどツーリングの方がこの看板をバックに写真を撮られていたので、そこそこ知名度はあるのでしょうね。

ついにご対面!

ついにわれわれは、かつて都だったという地にたどり着きました。おそらくこの辺りだと思います。

 

では、ご登場いただきましょう!

 

これがかつて都だった紫香楽宮だ!!

 

 

 

すげ~~田んぼ!!(笑)

そうなんです、この地が本当の紫香楽宮跡という事は近年の発掘調査で分かったのです。平成に入ってから天皇皇后両陛下もこの地を訪問されており、この宮町会館には記念碑も建てられています。

宮町展示室

この近くに『宮町展示室』なる資料館があるという情報を入手したので、さっそく向かってみると…

土日休みみたいです(笑)。

…いや…あの…観光客取り込むのなら、土日のどちらかは開けといて欲しかったな~って。

きっと貴重な資料とかあったに違いない…。

まとめ 紫香楽宮跡

かつて都だった紫香楽宮跡を紹介しました。
信楽といえば信楽焼ですが、普段とは違う信楽の一面が発見できますよ。

・紫香楽宮跡は内裏野地区と宮町地区の2つがある

・宮町地区はすごい田んぼ(笑)

・宮町地区の資料館は土日休み

・内裏地区の方が厳かで、しかも駅から徒歩圏内

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。

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