現在、彦根総合の宮崎裕也監督の北大津高校時代をふり返って行きましょう。
2004(平成16)年・夏に甲子園に初出場した宮崎監督率いる北大津は初戦で敗退してしまいます。
それから約1年半、2006(平成18)年の春のセンバツ大会に再び甲子園に帰ってきます。
春はこの年が初出場でした。
これ以降、2006年から2008年まで北大津は3年連続でセンバツ大会に出場することになります。
今回はその1年目、宮崎監督が甲子園初勝利を挙げた2006(平成18)年の春のセンバツ大会の北大津にスポットをあてました。
(参考文献・ホームラン、報知高校野球・週刊ベースボール・朝日など)
2006(平成18)年・春 北大津
2004(平成16)年・夏に甲子園出場した北大津ですが、翌年の夏(2005年)は県大会1回戦で敗退してしまいます。(3-6八日市)
その後、春のセンバツ大会を目指して新しいチームが始動します。
センバツへの道
宮崎監督当時43歳、初球からどんどん振っていく積極野球、そして常時5~6人のピッチャーをベンチに入れていました。
秋季大会はベスト4
新チームの北大津は秋季大会を勝ち上がりますが、準決勝で近江に敗れます。(5-7近江)
しかし、3位決定戦に勝ち(7-5彦根東)ぎりぎりで近畿大会に出場しました。
近畿大会1回戦・大阪桐蔭戦
近畿大会初戦の相手は中田翔(なかた しょう)が2年生で4番を打っていた時の大阪桐蔭です。
劣勢が予想されましたが、技巧派左腕・真田将人(さなだ まさと)投手が力投、延長13回を2失点に抑え、チームもサヨナラ勝ちを収め大番狂わせを演じます。(3-2大阪桐蔭)
近畿大会準々決勝・京都外大西戦
京都外大西(きょうとがいだいにし)はこの年(2005年)の夏、甲子園で準優勝し、新チームになった秋も翌年の春のセンバツ大会出場を狙っていました。
試合は接戦になり終盤まで北大津がリードする展開に…。
このまま逃げ切ればベスト4入りとなり、センバツ出場が確定するのですが8、9回にそれぞれ1点ずつ失い僅差で逆転負けを喫してしまいました。(4-5京都外大西)
センバツに選ばれたわ!
しかし、1回戦で大阪桐蔭に勝利したことや、京都外大西に終盤まで接戦を演じたことが評価され、北大津は翌年(2006)春の第78回選抜高校野球大会に出場することになりました。
ちなみに現在指揮を執る彦根総合高校でも近畿大会は準々決勝で敗れたものの試合内容を評価されてセンバツ大会に選ばれましたね。
第78回選抜高校野球大会
2006(平成18)年のセンバツ大会はこの夏に主役になるハンカチ王子こと斎藤佑樹(早稲田実)、後にメジャーリーガーになるマエケンこと前田健太(PL学園)などが出場。
マー君こと田中将大(たなか まさひろ)率いる駒大苫小牧高校はこの大会の出場が決まっていましたが、直前に部員の不祥事が発覚し、出場辞退を余儀なくされました。
北大津のメンバー紹介
では当時のメンバーをざっと紹介していきましょう!!
攻撃力はタレント揃いの2004(平成16)年ほどではないものの、守備力と複数投手陣の継投で勝ち上がってきました。
1番・ショート 中村圭佑
秋の大会は.417 1本塁打でした。盗塁も2つ決めています。
北大津の投手は打たせて取るタイプが多いので、守備で大忙しでした。
2番・センター 宮里裕樹
スタメンで唯一の2年生でした。センス抜群。
甲子園1回戦では3打数3三振でしたが、2回戦では2安打と気を吐きました。
翌年(2007年)春にはキャプテンになって甲子園に帰ってくることになります。
3番・キャッチャー 土井将平
チームの要です。
守備では力みすぎて悪送球などのミスもありましたが、打撃面では貴重な決勝タイムリーも放ってます。
4番・ファースト 有吉宏明
4番でキャプテン、存在感抜群でした。
184センチ78キロの恵まれた体格から放たれる打球は桁違いでした。
甲子園では2試合とも2安打ずつで、ともに打点も挙げています。
5番・レフト 山崎竜太
4番の有吉選手に負けず劣らずパワフルな選手です。
秋は打率.364 ホームランも1本打ってます。
8打点はチームナンバー2でした。
6番・ライト 竹下保三
前年の夏の大会はエースピッチャーでした。
この大会では6番ライトのポジションでしたが、甲子園で1イニングだけ登板しています。
右の本格派です。
7番・セカンド 吉田優也
2番の宮里選手とともにしぶとい選手でした。
四死球を選んでいたイメージがあります。
鋭い打球が野手の正面を突く不運などもありましたね。
8番・サード 岸田周平
背番号15の選手。
試合前日にレギュラーの西澤選手が指を怪我して急遽スタメン出場。
甲子園ではヒットも記録し、特に守備で元気なプレーが目立ちました。
9番・ピッチャー 真田将人
この年の北大津の主役と言っても過言ではない真田選手。
技巧派投手としてこの大会で話題になりました。
打撃は9番の打順ですが、セーフティーバントを決めたり何をしでかすのか分からない選手でしたね。
複数の投手陣
この年の北大津は投手6人もベンチ入りさせていましたが、実際に甲子園で登板したのは3投手でした。
真田将人
左のサイドハンドから110キロ台の直球と80~90キロ台の変化球を織り交ぜます。
中には遅すぎて計測不能なんてボールもありました。
この大会では2試合とも先発し、特に1回戦では1失点で完投勝利を挙げています。
相手打者はボールを待ちきれず、非常に打ちにくそうでしたね。
猪飼広祐
猪飼(いかい)投手はエースナンバーで、秋の大会では一番多く投げています。
タイプ的には真田投手と似ていて、技巧派でスローカーブが武器でした。
身長は真田投手より約10センチほど低く(163センチ)、真田投手がサイドハンドなのに対して猪飼投手はオーバーハンドでした。
竹下保三
普段はライトを守っているのですが、2年夏はエースピッチャーでした。
身長172センチ、右のオーバースローで速球派として鳴らしていました。
この大会では2回戦で1イニング投げて無失点に抑えています。
1回戦・北大津ー旭川実(北海道)
北大津は大会3日目(3月25日)第3試合に登場することになります。
対戦相手は旭川実業です。
旭川実業(あさひかわじつぎょう)
北海道代表・旭川実はこの春は3年ぶり2度目の出場になります。
1995(平成7)年・夏に初出場でベスト8入りして旋風(旭実旋風)を巻き起こした事もある、道内きっての人気チームであり旭実(きょくじつ)の愛称で親しまれています。
旭川実・天野太貴(あまの たいき)
旭川実のエースナンバー・天野太貴投手は秋の大会6試合投げ、防御率2.60です。
奪三振は多くは無いのですが、低めにスライダーを決めて打たせて取るタイプのピッチャーです。
また打っては5番を任され、旭川実の主軸です。
試合開始
初回に旭実先制!
1回裏に旭川実が四死球でチャンスを広げると、北大津の土井捕手が1塁ランナーを刺そうと送球したボールが大きくそれてランナーがホームイン!
旭川実にノーヒットで先制を許します。
3回表に北大津が追いつく!
1点を追う北大津は3回表に2アウト2,3塁から4番・有吉選手のショートへの内野安打で1-1の同点に追いつきます。
北大津・真田投手が翻弄
北大津の真田投手は変幻自在の投球でバッターのタイミングを外し、旭川実打線を抑えていきます。
旭川実は4回裏に待望の初ヒットが出ました。(天野選手)
強打の旭川実は北大津・真田投手の前に凡打の山を築いていきます。
特に北大津のショート・中村選手とサード・岸田選手はこの日、守備機会が多かったのですが、ファインプレーの連発で相手に隙を与えませんでした。
5回表・北大津が逆転!
北大津は5回表、ランナーを置いて初回に守備でミスした3番・土井選手が左中間にタイムリースリーベースを打って2-1と逆転に成功します。
そのまま逃げ切り、初勝利!
真田投手は9回裏、連打で1アウト1,2塁のピンチを迎えるも最後ショートゴロ、ダブルプレーで切り抜け完投勝利!
北大津2-1旭川実業
北大津高校、ならびに宮崎監督は嬉しい甲子園初勝利を挙げました。
2回戦 北大津ー日本文理(新潟)
初戦勝利した北大津は3月29日(大会7日目)第4試合、2回戦に登場しました。
相手は日本文理(にほんぶんり)高校(新潟)でした。
新潟県・日本文理
新潟県勢、春初勝利!
新潟県は滋賀県以上に野球不毛の地でした。
春の大会に限れば、新潟県勢甲子園初勝利を挙げたのはなんとこの年(2006年)でした。
2回戦で北大津と対戦する日本文理がこの大会の初戦で勝利を挙げたのが記念すべき新潟県勢・春初勝利だったのです。(日本文理4-3高崎商)
新潟県勢、春2勝目を懸けて北大津と対戦します。
新潟県勢は選抜大会に出場すること自体少なく、2006年までに過去6校出場して6校とも初戦で姿を消している。
無論夏も弱く、夏通算勝利15勝(当時)も全国ワーストでした。
2023年現在、甲子園春夏通算31勝(73敗)も全国ワーストです。
日本文理高校
日本文理高校は1984(昭和59)年に創立された私立校です。
甲子園には1997(平成9)年・夏に初出場、春はこの2006年が初出場でした。
以降は新潟県の強豪校となり2009(平成21)年・夏に準優勝、2014(平成26)年・夏はベスト4と躍進しています。
大井道夫監督
日本文理の大井道夫(おおい みちお)監督は創部3年目の1986(昭和61)年に同校の監督に就任。
かつては宇都宮工業高校(栃木)のエースとして昭和34年に夏準優勝に輝いています。
この年の日本文理は2人の投手と打撃を鍛えてこの大会に乗り込んできました。
チーム打率.403は出場32校の中でトップでした。
2017年に退任され、それまで甲子園で通算12勝を挙げられています。
試合開始
北大津は1回戦で完投した真田投手が、日本文理は2年生の栗山投手が先発します。
1回の表裏、両チームとも4番のタイムリーヒットで1点ずつ取り合い、早くも試合が動き出しました。
特に北大津の有吉選手のタイムリーヒットの時に打球を追った日本文理のショートとセンターが交錯。
しばらく中断したのち、二人とも元気にプレーしていました。
3回に北大津がリードを広げるも…
北大津は1-1の同点で迎えた3回表に4番・有吉選手の長打と相手エラーで2点追加し、3-1と主導権を握ります。
日本文理が逆転
4回裏に日本文理が一死1,2塁からダブルスチールを仕掛けて成功!
そして初球、スクイズ成功で2-3と1点差に詰め寄ると、栗山投手に代打を送ります。
するとセカンド内野安打で同点に追いつきます。
さらに今日2三振の2番・田沢勇太選手がセンター前に弾き返して4-3と一気に日本文理がひっくり返します。
この回がポイントでしたね。
北大津の真田投手はボールの遅さを武器にしていましたが、モーションを盗まれて盗塁を許してしまうなど脆さを露呈…。
さらにナイター照明の影響でキャッチャーのサインが見にくく、サイン違いの投球を打たれてしまいました。
エース・横山投手
逆転した日本文理は5回からエースナンバーの横山投手をマウンドに送ります。
183センチの長身で140キロ。カーブ、シュート、そして切れ味鋭いスライダーが武器です。
ちなみにこのスライダーはこの冬に習得したばかりです。
北大津打線はこのスライダーに手を出してしまい、この回3三振を喫してしまいます。
これで完全に試合の流れは日本文理に行きました。
北大津3-6日本文理
最終回、北大津は一死1,2塁、バッターは4番・有吉選手。
ホームランが出れば同点の場面も、2塁ランナーが三盗を試みて失敗…。
バッターが有吉選手なら、2塁でも3塁でもそこまで変わらないと思うのですが…、これで反撃の芽がほぼ潰えてしまいました。
北大津3-6日本文理
日本文理の素早い決断が功を奏したゲームでした。
北大津は2回戦で姿を消しました。
一方の日本文理はベスト8入り、次の清峰(せいほう)高校に敗れましたが、春2勝の快挙でした。
まとめ
宮崎監督が甲子園で初勝利を挙げた2006年の北大津高校をふり返りました。
あれから17年、彦根総合高校での宮崎監督の手腕に期待しましょう!!
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。