2022-23シーズンより、ロゴやチーム名・チームカラーを一新し、より頂点を目指すチームに生まれ変わったプロバスケットチームの滋賀レイクス。
チーム創設15年目を迎えますが、創成期は現在のようなBリーグ・バスケ人気もなくマイナースポーツでした。
今回はBリーグが誕生する以前、bjリーグに所属していた時代の滋賀レイクス(当時、滋賀レイクスターズ)をふり返ります。
(参考文献【扶桑社 BUZZER BEATER 日本プロバスケットボール bjリーグ】より)
bjリーグ・滋賀レイクスターズ
出典・扶桑社 BUZZER BEATERより
滋賀レイクスターズ(当時)は2008年(平成20年)に滋賀県初のプロスポーツチームとして誕生!
bjリーグに加盟しました。
bj(ビージェイ)リーグとは何ぞや!?
bj(ビージェイ)リーグは2004年(平成16年)に発足。
一年後の2005年11月、最初の加盟チーム6チーム(新潟アルビレックス・埼玉ブロンコス・東京アパッチ・大阪エヴェッサ・仙台89ERS・大分ヒートデビルズ)で記念すべき開幕を迎えます。
当時、国内にはJBL(日本バスケットリーグ)というリーグが日本のトップリーグでしたが、そこから数チーム脱退して新リーグ機構を作る形でbjリーグは生まれます。
ほぼ喧嘩別れ…
当時の国内トップリーグのJBLは日本の有力選手が数多く在籍していましたが、企業色が強い実業団リーグでした。
当時、JBLに所属していた新潟・埼玉(当時、さいたまブロンコス)の2チームがJBL脱退を発表します。
この2チームは脱退して真のプロリーグを作るべくbjリーグを発足しました。
引き止める日本バスケットボール協会
事態を重く見たJBA(日本バスケットボール協会)はこの2チームの脱退とリーグ分裂に危機感を抱き、全力で阻止しますが聞き入れられず、JBLとJBAからの脱退→bjリーグ発足になりました。
地域密着とエンタメ性のbjリーグ
JBA(日本バスケットボール協会)傘下のJBL(日本バスケットリーグ)はあくまで実業団リーグの域を出ていませんでしたが、新たに始まるbjリーグはサッカーのJリーグのような地域に根差したリーグを目指していました。
JBLとは明らかに方向性が違い、JBAの傘下では思い切った舵取りが出来ないという判断から、bjリーグはかつて例を見ない『協会の傘下に入らないプロリーグ』として活動します。
まぁ、バスケに限らず日本の『協会』とやらは頭が固く、古い体質が多いためこの判断は「ナイス」だったと筆者は思います。
なぜならこれがきっかけで後のBリーグ→バスケ人気に繋がったのですから…。
JBLとの格差
bjリーグはプロチームなのでスポンサーを集めてクラブを運営しなければなりません。
一方、企業先導型のJBLはバックに大企業が付いているので資金面での体力は十分です。
そうなると当然、将来有望な若手選手はバックアップの厚いJBLのチームを選びます。
こうなるとJBLとbjリーグの実力のレベルに差が付きます。
しかもbjリーグはJBA(日本バスケ協会)からも離脱したので、bjリーグの選手が日本代表に選ばれる事はありませんでした。
しかしbjリーグの地道な活動は着々と実を結び、地域に根差していくことになります。
滋賀レイクスターズも参戦するわ!
そんなカオスな日本バスケ界でしたが、滋賀県もチーム設立の機運が高まり、
『滋賀にプロバスケチームを!』
の合言葉とともにプロクラブチームを設立。
チーム名も一般公募で『滋賀レイクスターズ』に決定!!
2008ー09シーズンより加盟が決定しました。
出典・京都新聞記事
無難なチーム名
チーム名が滋賀レイクスターズに決まった時、『わりと無難なトコに落ち着いたな~~』ってのが率直な感想でした。
チーム名公募は前年よりインターネットで受け付けており、ちなみに筆者は滋賀レイカーズ(アメリカの人気チームのパクり)とか、名物の滋賀ふなずし団…とかふざけて応募たので採用されませんでした(笑)。
滋賀の「4位力」
bjリーグは東・西のカンファレンスに分けて順位を決定し、その上位チームがプレイオフで優勝を決定する形式だったのですが、滋賀レイクスターズは西地区に属し、いつも大抵4位(笑)。
当初は6チームで始まったbjリーグは毎年2チームずつ加盟していき、最終的には24チームになりました。
チームがどれだけ増えようが、毎年図ったかのように4位になる『4位力』は、もはや芸術的でした(笑)。
目指せ、聖地・有明コロシアム!
bjリーグはレギュラーシーズン、東西の上位6チームずつ計12チームがトーナメント方式でプレーオフを行い、勝ち残った4チームがセミファイナル(準決勝)とファイナル(決勝戦)を有明コロシアムで戦います。
つまり有明コロシアムはbjリーグ全チームの目標であり、聖地でした。
滋賀も有明に行ったわ!
滋賀レイクスターズは毎年ほとんど4位なのでプレイオフには進出できるのですが、ファーストラウンドかセカンドラウンドで敗退していました…。
しかし一度だけ有明コロシアムに進出したことがありました。
2014-15シーズン、レギュラーシーズンを安定の4位で終えると(笑)、続くプレイオフで大阪、京都を連破!
有明では浜松・東三河フェニックス(現・三遠ネオフェニックス)に敗れますが、3位決定戦で岩手ビッグブルズに勝ち、年間3位。
これがbjリーグにおける滋賀レイクスターズの最高成績でした。
当時の試合会場
bjリーグ時代の滋賀レイクスターズはどこで試合を行っていたのでしょうか?
Bリーグに統合されてから使用されていないアリーナもあります。
軽くふり返ってみましょう!!
滋賀県立体育館(大津市)
滋賀県立体育館…現在のウカルちゃんアリーナです。
Bリーグ統合後もメインアリーナでしたが、bjリーグ時代もよく使われていました。
しかし、2022年10月をもって最後になります。
当時の膳所駅の様子です。
今は改装されて綺麗になっています。
草津市総合体育館
草津市の草津市総合体育館です、隣に野球場があります。
草津駅から遠く、また現在の草津開催では新しくてアクセス便利なYMITアリーナを使用しているので、今後も使用される事はなさそうです。
野洲市総合体育館
野洲市の野洲市総合体育館です。
こちらも野洲駅から遠く、田んぼにデーーンと建っています。
Bリーグ統合以降は使用されていません。
↑2010-11シーズンの開幕戦は野洲で行われました。
対戦相手は福岡ライジング(現・ライジングゼファー福岡)でした。
懐かしいですね…。
独立シートではなく長椅子でしたね。
守山市民体育館
守山市の守山市民体育館です。
こちらはBリーグ統合後も使われています。
天井から光が指して明るかったですね。
現在はシーズン直前のプレシーズンマッチで使用されています。
他に東近江市や彦根市でも開催していましたね!
アウェーも行くわ!
それでは敵地、アウェー会場も軽くやっていきましょうね。
奈良市中央体育館
奈良市の奈良市中央体育館(ロートアリーナ奈良)です。
近鉄奈良駅からバスで向かいます。
バンビシャス奈良のメインアリーナですね。マスコットキャラのシカッチェは大人気です(笑)。
バスを降りると目の前に鴻ノ池があります。
当時はバスケ人気もなく、試合後に選手の出待ちをして一緒に写真なども撮影できました。
山城運動公園体育館
京都府宇治市の山城総合運動公園体育館です。
京都ハンナリーズのメインアリーナは西京極のハンナリーズアリーナですが、宇治市でも開催されていました。
JR宇治駅からバスに乗ります。
京都ハンナリーズのマスコット、はんにゃりんも来てましたよ!
こういう体育館はトイレで選手やヘッドコーチと遭遇する事もザラで、トイレでばったり出くわして、
「試合、頑張ってや~~!」
「おう!」
…みたいな会話もありました。
浜松アリーナ
浜松市の浜松アリーナです。
浜松・東三河フェニックスが使用していました。
現在は三遠ネオフェニックスになり、今も時々使われています。
立派なアリーナで座席も良かったです。
まとめ
bjリーグ時代の滋賀レイクスターズ(現・滋賀レイクス)をふり返りました。
昔は選手との距離も近かったのですが、近年はバスケ人気や知名度も上がって、選手たちがどこか遠く行っちゃった感じですね…。
この記事を読んで、あの時代を思い出して頂ければ嬉しく思います。
これからの新生・滋賀レイクスの健闘を祈ります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。