滋賀・神社仏閣

【大津市】瀬田の唐橋の伝説と建部大社

瀬田の唐橋はかつて多くの戦乱の舞台となりました。ここからさまざまな伝説も生まれています。現在も使われていて、わりと渋滞の温床になっているせいでしょうか?有難みというか神通力が薄れてる気がします。

この橋はもっと神々しい橋のはず…(笑)。

それを確かめるべく、今回筆者は瀬田の唐橋と、その近くにある建部大社(たけべたいしゃ)を取材しました。

瀬田の唐橋の伝説と歴史・アクセス

瀬田の唐橋は大津市瀬田にあります。瀬田はもともと栗太郡瀬田町1967年(昭和42年)に大津市に編入大津市瀬田となりました。

この大津市というのが広くて、琵琶湖南東岸から果ては湖西地区までを占めます。そして瀬田、石山、膳所(ぜぜ)、堅田(かたた)など大津市内の各地区が独立しているのでまとまりがなく、核のない都市・大津と言われています。

瀬田の唐橋はその大津市瀬田に位置し、「瀬田唐橋」「勢多唐橋」とも言われています。

近くに瀬田工業高校もあります。

【瀬田工】1980年(昭和55年)春夏甲子園出場・夏ベスト4昭和55年、春・夏連続で瀬田工業高校が甲子園初出場を果たします。 前年(昭和54年)に比叡山が夏の甲子園滋賀県勢初勝利を挙げ、勢いに乗...

瀬田の唐橋の概要

アクセス

 

最寄り駅は京阪・石山坂本線の唐橋前駅です。さすが名所だけあって駅名になっています。

しかし車で行くと、特に駐車場はなく普通にコインパーキングに停めました。

橋の全長

大橋と小橋があり、合わせた全長は223.7mです。基本、県道2号線の役割を果たしており車がひっきりなしに走っています。

近江八景

瀬田の唐橋石山の秋月堅田の落雁(かたたのらくがん)と、ともに近江八景のひとつに選ばれています。
景観も素晴らしいのがこの瀬田の唐橋なのです。

『堅田の落雁』浮御堂(うきみどう)の見どころと駐車場近江八景のひとつ『堅田の落雁(かたたのらくがん)』、大津市堅田の浮御堂(うきみどう)は仏堂が琵琶湖面に浮き出て見えることからその名が付け...

瀬田の唐橋の伝説

瀬田の唐橋は壬申の乱承久の乱などでたびたび戦乱の舞台になっています。そのたびに焼き払われています(笑)。やはり当時瀬田川に架かる唯一の橋だったので、敵軍に使われないように焼き払ったのでしょう。

ちなみに今の位置にしたのは織田信長とされています。

京都へ向かうには重要な橋、瀬田の唐橋。

このことから、瀬田橋を制する者は天下を制すると言われていました。

有名な大ムカデ伝説

一番有名なのが「大ムカデ伝説」ではないでしょうか?栃木県にゆかりのある武将・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が放った弓矢が大ムカデの眉間にヒット!退治したという伝説です。

大ムカデとは平将門で、ここで功績を挙げた藤原秀郷は一生分のお米を贈呈されたといいます。そして藤原秀郷には「俵藤太」と名付けられました。その場所こそ瀬田の唐橋であり、今も藤原秀郷の像があります。

歴史好きの人にはお馴染みのお話ですね。

「急がば回れ」の由来

江戸時代、琵琶湖を横断して京都に向かおうとしていた船がことごとく横転・転覆。これは比叡山から吹く風のせいでした。こんなリスクを背負うくらいなら、少し遠回りして瀬田の唐橋を渡って琵琶湖を超えたほうがいい!

ここから生まれたことわざが「急がば回れ」です。瀬田の唐橋が語源になっていたのですね。

こんなに神々しい橋なのに、「普通の橋」扱いされているのは、やはりあの渋滞のせいですかね?(笑)。これから瀬田の唐橋東詰では拡張工事が行われるようで、渋滞解消が期待されます。

瀬田の唐橋の動画

 

建部大社

これからは建部大社(たけべたいしゃ)のお話になります。瀬田の唐橋から東へ約500m、建部大社の参拝道に入ります。

建部大社は日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っている神社です。国内各地で日本武尊を祀る神社は多数あれど、「大社」とつくのはここだけです。

建部大社へのアクセス

建部大社は瀬田の唐橋の程近く、大津市神領町にあります。「神から授かった領地」で神領町、それだけでも神々しさが分かろうというものです。

建部大社の伝説

かつて源頼朝が平家に捕らわれ、伊豆へ流刑になった際ここに立ち寄り、源氏再興を祈願

その後、壇ノ浦で平家打倒を果たし、天下統一の礎になりました。宿願叶い再び上洛(京都に上る事)の際、また建部大社を訪れ、ここに数多くの神宝と神領を授け、この地は神領町となったのです。

以来、建部大社は出世開運の神社としてあがめられています。

出世意欲のある会社員の方はぜひ訪れてみましょう!ちなみに筆者のような副業ありきの人間には無縁と思われますが…(笑)。

ややこしい「おおつ光ルくん」

建部大社の門の所に大津市の観光キャラクターである「おおつ光ル(ひかる)くん」の人形がありました。おおつ光ルくん紫式部の光源氏をモチーフに作られています。

しかし、源頼朝の源氏と光源氏の源氏は全くの別物です(笑)。時代が違いますし、そもそも光源氏は紫式部の源氏物語に出てくる小説人物です。建部大社よりも、むしろ隣の石山寺にゆかりがあります。ここに置いてあると源氏違いでごっちゃになります(笑)。

ちなみに源氏物語は「ドタバタ恋愛物語劇場」って感じです。面白いのですが、登場人物の名前が身分によってコロコロ変わるので分かりにくいのが難点です。

まとめ 瀬田の唐橋の伝説と建部大社

戦乱の要所となった瀬田の唐橋と源頼朝の再興祈願の地となった建部大社を紹介しました。

瀬田の唐橋は新幹線やJR線からでも見えます。ぜひ注目して下さいね。

なかなかに神々しい橋なので、「な~んだ、タダの渋滞してる橋じゃん!」などとヤボな事を言うのはやめましょう(笑)。ではまた。

 

ブログランキング参加中!ポチッと応援お願い♪